2018年1月12日金曜日

横関街道 

ひとつ言えるのは長興寺大坂城焔硝蔵ができた1733年以降、横関街道が整備され通行量が増えたようです。



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参拝道「横関街道」
長興寺大坂城焔硝蔵の桟橋普請は長興寺村が行っていた。川を使い荷の積み下ろしが行われていた模様。

江戸中期 西国33カ所巡りなど観音信仰が旺盛になり、特に「勝尾寺」は徳本上人の講話にはその参拝者の様子を「市が立ったような賑わい」と言う下りがありますので上新田を抜けて箕面市の新家の表参道に参る、大阪市内からの参拝が多くなったのではないかと思います。参拝道横関街道はとした方が良いのではないでしょうか!

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