2014年10月13日月曜日

サボテン公園 in あまみ 見つかった道標 

スケッチ画から
見つかった道標 27

スケッチ画の左端に 道標が 

道標表示 ① 正面 右 すぐのみち


道標表示 ② 左面 すぐ

道標から 上の写真の面を 正面とします。  地上より高さ 百五十センチ
右面   30センチ 横が 29センチ の巨大な道標です。
 この下は
すぐ 十三? かんざ記  中山道  面白いのが分かりますか
    表示 かんざきを  かんざ記 となっていることです。
 その下には    中国道を表します。
 
解読し教えて下さい
      右 のみち?(明治以降の能勢街道)
(大きく) 左 おはつ天神?  よどやばし  と 

  
道標表示 ③  裏面になります
 
天保十三年(1842)   明治元年は1868 もうすぐ明治

道標表示 ④ 右面 すぐ

右面
大きな文字で上に 「すぐ」と下に「右」とある???? 珍しい 初めて見ます。
この道標の表示は全ての方功の面では このように上下形式を取っています。
        すぐ  右 おはつ天神? よどやばし   
     (小さく)  左  のミち


スケッチ画から解読すると

道標表示 ① 正面

   右  すぐのみち    右 てんま天じん  なにははし
                            左 十そう   かんざき   なかやまへ


道標表示 ②  右面(東向き)
             十そう                      右 のみち
  すぐ   かんざき         左 おまつ天神
      中山へ             よどやばし


道標表示 ③ 裏面 スケッチには記載なし

   天保十三年(1842)


道標表示 ④  左面

         なにわばし          おまつ天神
   すぐ            右 よどやばし
       てんま天神   左  のみち

以上 スケッチ画から解読


解説 「すぐ」 と 「右」 の表示は 「すぐ」が主で 暫くまっすぐに そして途中で「みぎへ」というあんないである。  同様な表示方法は、十三の神津神社にある道標「小島北口道標」がそれである。 この道標では 行先が 網天神、おまつ天じん、淀屋橋等が書かれている

   以上のことからこの道標が立っていた場所を推定すると
     中国道沿いに建ち高麗橋から来て 左 淀屋橋へ  右 の道 との分岐  
     右「のみち」 は明治の淀川には有料の新橋が出来、この「の道」 能勢街道としている。

     明治の24年(1892)の大阪府地理土木法規
      中国道と能勢街道は・道の時には 今の 大淀警察署を進み、コンビののところを



すごい発見になりました。
中国街道と「野道」への分岐の道標だ!
 明治二十四年には中国街道は国道二十六号線 西成郡中津村大字下三番に立っていて、「能勢街道」と「能勢街道」との分岐となる。これは 天保十三年で この時分には能勢街道ではなかった。 
 能勢街道は それまで経路が違う  明治五年の通達で
  池田街道(今の能勢街道)は 本庄渡を経て池田より能勢丹波に至る 道幅二間 となっている。  
  街道に関する 明治の大阪府の表示方法は こちら
 
  大阪市内を調べると面白い   

  早速、登録させていただきます。

≪回答文≫ 大阪市 10/6返信
お問合せ内容を教育委員会事務局 文化財保護担当へ確認いたしましたが、
残念がらこの度の道標に関する情報は持ち合わせていないとのことでした。
何卒ご了承いただきますようお願い申し上げます。

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