2014年8月19日火曜日

まち探索 またまた見つけ 樋・碑2 質問 案内板2

今日のニュースは 広島で局地的な豪雨による土石流
   こちらも すごい 
   谷沿いには 家は危険 谷筋 もっと上・上流まで確認しないとだめだ
   広島の土石流の写真


その前に ゲリラ豪雨  またもや 洪水の福知山市 
 昔の話:バスの上の人の救助は・・・・

 洪水災害 福知山市 去年も 今年も2度目 局地的な大雨である・・・・
写真のサイト 記録に残さねば
またか・・・・

http://www.huffingtonpost.jp/2014/08/17/fukuchiyama-heavy-rains_n_5686381.html?utm_hp_ref=japan



新豊島川の上流  写真を追加
新豊島川  親水緑道

内環状線から 上流の橋

南町橋

南武橋

城前橋

春日橋

村合橋

高城橋

内環状線
「高田橋」

これより下流は こちら


碑が・・・・ 2基 樋
 村合樋門跡


 利倉井土地改良
村合樋門は猪名川の利倉井■■原田地区から導水し
利倉地区農地約15町歩を 穂積地区の用水として
「広池」にも導水し■農業水利施設として
永年重要な役割をはたしました。 「村合」の名称は古来からの地名で
「もろ■」ともよばれていました。
 町の移り変わりと共に農地が宅地化されこの施設は
設置後半世紀にわたる役目を終え、撤去されることになりました。
コメ作中心の農業経営の基礎ではたした功績は大きく記念碑を建立した後世に
この碑を残すものであります。
  平成元年3月

ほたる
人工的なもので、作り出すことが可能でしょうか
水の状態、タニシが生息する条件、隠れる場所がある川、はい上がれる条件、をクリアしなけければならない。 
 コンクリートの川に後から 自然にかえす取り組みは難しいと思える。
蛍は 自然が織りなす 世界 ホタルの乱舞 
自然への回帰

蛍の里 親水水路






建設大臣賞「蘇るみず 100選」は 明治33年(1900年)に旧下水道法が施行され、
平成12年(2000年)に100周年を迎えた記念として、下水処理水の再利用を
積極的に行い、自然の復活の創造に寄与した土地に与えられるものです。
        豊中市長  一色貞輝


この水は 下水を原田下水処理場で高度に処理したものを流した居ます。
昭和63年度に建設省の「手づくり郷土賞」を受賞しました。

 
南町樋門跡

南町樋門は、原田地区農地約十町歩の用排水を調整する要として機能してきたが、
時代の変還により撤去されることとなった。
思えば、この碑門は早魃に泣き、出水に悩まされてきた関係農民の象徴であったといえよう。
以来、今日迄徹夜の番水や、突然襲う雷雨に身の危険を返りみず、その任に当たられた
多くの関係者の労にむくい、また豊穣の礎として受けた恩恵に感謝するため、
ここに記念の碑を建立し永くその名を後世に捧げるものである。
昭和六十二年三月
豊中市原田井土地改良区
理事長 渡邊 興四夫


「アクアトピアとよなか」
 
ふれあい  うるおい  やすらぎ

新豊島川

 ここに 尼崎飛び地
左に見えるのが 阪神高速空港線
水路は この後、高速道路の東側を出て、西北に源をえる、
東側に来た水路 
老人デイサービスセンター前の 樋 
台風の後だが水は ながれていない、 空港方面


横には 排水路が 下水の班水路だろう

今日は ここまで、いろいろあるな。
今回のように 樋・碑が2基存在したとはよかった。
付け加えるのは 昔の絵・写真があったらもっといいのに

以前の 「九名井」???は疑問もあるが、面白かった。 

********  豊中市へのご意見はこちらまで(8月19日)について 返事がありました。

・豊中市の農業用水路地図・マップはありませんか! ⇒農業用水路のマップはありません。
 
・水路・樋に関する資料がありましたら 教えてください。⇒樋門の位置図はあります。

・新豊島川にある 村合樋門跡の「むらあい」でよろしいのか⇒読み方は「むらあい」です。 
  
・写真等があるいいのですか!              ⇒樋の写真はありません。

樋門の位置
 

豊中市役所 都市基盤部水路課 でした。
ありがとうございました。

*******************  以下は 説明版


 利倉南遺跡
低湿地にある古墳   服部遺跡 もう一つ 田能遺跡

 曽根遺跡





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