2012年2月14日火曜日

絵図 資料から  追加 大阪教育大学古地図  山田村

国立公文書館 
摂津国(元禄)(せっつのくに)
江戸幕府の命で、慶長・正保・元禄・天保の4回、全国規模で国ごとの地図が作成されました。このうち元禄国絵図は、元禄9年(1696)その作成が命じられ、同15年(1702)までにほぼ全国の分が完成したといわれています。1里を6寸とする縮尺(約21,600分の1)で、山、川、道路等が描かれ、街道を挟む形で描かれている黒丸は一里塚の表示です。郡別に色分けされた楕円形の枠内には村名と石高が、白四角で示された城下町には地名と城主の名前が記されています。国立公文書館には、元禄図の原本8鋪、模写本8鋪が保存されています。天保国絵図全国分83鋪(重複を含めると119枚)及び松前島から琉球まで国ごとに各村の石高を記した
原図サイズ:東西306cm×南北304cm 

考察
この絵図 拡大ができ非常によい。 図面上からみえてくることは

中津川右岸の上流から村・町名
薬師寺村、濱村、川口村、川口新■村、木寺村、小嶋村、    、今里村


黒点は一里塚を示す。
元禄摂津国絵図(1696~1702)には 下新田。上新田の村の記載がないが
天保摂津国絵図(1835~1838)には 下新田村、上新田村が書かれている。

小野原街道は 両方の地図では
山田下村から別所村を経て小野原に行くルートになっていた。
山田下村、別所村、小川、中村、上村

渡し
三嶋江村ヨリ河内国出口村迄拾町拾五町(弐百四拾間)
下ノ村ヨリ河内国仁和寺村迄七町五拾間
一津屋村ヨリ河内国七番村迄六町 (川幅 三百間)
神崎川
江口舟渡川幅壱町四拾八間
吹田舟渡川幅三町四拾間
榎舟(?)渡川幅壱町三拾間
廣芝舟渡川幅弐町

能勢街道 は 長柄から小曽根 
 小曽根から服部村の東側を通り 福井村の東側を通る
天竺川を上るルートは 服部村の西側を通り左に折れる。
椋橋村の北側を通り、利倉村と勝部村間を通る

**********************************************************************
追加 2012/03/07  大阪教育大学 デジタルコレクション

       古地図 35   

大阪教育大学附属図書館 デジタルコレクション
大坂夏御陣図 増脩改正摂州大阪地図 大坂指掌図(淀河筋図)
大坂夏御陣図 増脩改正摂州大阪地図 大坂指掌図(淀河筋図)
HTML版 HTML版 HTML版
大坂指掌図(淀河筋図) 大阪之絵図 帝国大阪細見図
大坂指掌図(淀河筋図) 大阪之絵図 帝国大阪細見図
HTML版 HTML版 HTML版
大坂冬御陣図 大阪城古地図 大坂御陳図
大坂冬御陣図 大阪城古地図 大坂御陳図

追加 2/19   小野原街道
元禄摂津国絵図(1696~1702)と 天保摂津国絵図(1835~1838)には 
赤い線が街道  小野原街道を探す
山田下村、山田別所村を通る。 今の万博公園の中を通る

山田川沿いに小川村、中村、上村がある。  ところがもう一つの絵図
こちらは、現在言われている 「小野原街道」となる。
この絵図では 上村を通るルートになっている。


追加   となると
旧能勢街道
豊中にあるこの道標が 名号板碑道標」
脚光を浴びる。
もう一つは 吹田の妙見宮


***********************************************************************


ウィンドウまたは画面の内容をコピーする 
作業中のウィンドウをコピーするには、Alt キーを押しながら PrintScreen キーを押します。

0 件のコメント: