2016年4月15日金曜日

宝塚市の文化財を掘おこす 「福西茂スケッチ画展」 in 小濵宿資料館

展示会場の作品 下の地図で場所を確認してください。
 展示作品一覧はこちら

作品分類 製作年月日     題      名       所  在  地
 H-36   S63/07/10  木接太夫彰徳碑         山本東2丁目
 
  G-63   S63/05/26     中山寺奥ノ院本堂        中山

 A-111 H01/04/28  普明寺参道       波豆

 E-8   H01/03/09   宝塚温泉碑        湯本町九



宝塚で663点
 福西茂スケッチ画数 

製作開始 昭和63年2月25日
終了 平成1年7月22日
寄贈 平成1年8月?
インターネット検索
    「福西 茂」
    「北摂の道標」
      by. 点と点


福西茂スケッチ総数   663点
小浜宿資料館 企画展
宝塚市のスケッチ画  地区別分類
番号 分 類 地区名抽出による。   題   名
1 A  1・2・3 波豆 125点 1.2は不明
2 B 1 売布 45点  
3 C 1・2 米谷 95点  
4 D 1・2 小濱 80点  
5 E 1 月見山、紅葉ケ丘、湯本町、梅野町、南口、中州 55点  
6 F 1・2 社町、仁川北 74点  
7 G 1.2 中山 100点  
8 H 1・2 山本台、山本東 89点  
9 合計   663点  














     

新聞記者の取材か! 記事なるかは判りません。
 経過 
 「宝塚:小濵の展示会」について、市役所に問い合わせるが、「良くわからない。」ということで、私に電話でした。
 小濵宿資料館から電話 「新聞記者がスケッチ画のことを知りたいとのことで、詳しいのは 私ですので、電話番号を教えてもいいですか!」 
 新聞記者からすぐに電話です。
 要領を得たのでしょうか!
 展示会を開催していることと、原画の行方不明の原画もある。
おもしろいストリーが幾つも描けると思いますがね・・・
このサイトを見ていただいている方々は判ると思います。 

30年ぶりに日の目を見たスケッチ画 文化財

別な場所での宣伝  宝塚市役所内
 八幡神社の御神水:波豆
丁字ケ滝:月見山
中山寺奥ノ院本堂
馬街道:小濱



文化財を掘り起こした、

これ迄の経過
豊中市の住民で合った、福西茂スケッチ画展の開催を計画しました。 今から 2年前にさかのぼります。
 その時は、福西茂氏の資料がありませんでした。
  豊中で「福西茂スケッチ画展」を開催するに当たり、新しい資料を探しました。
 市報で絵画展の日時の記載を調べました。 箕面市、池田市、川西市、宝塚市  そんな中
 池田市に資料の提供を依頼  すると 新しい資料・冊子が出てきました。 2014/01/10
さらに、展示会の開催の有無、記載の市の広報・箕面市、池田市 中に
 2014/11/05 池田市図書館で調べていたら、池田市の冊子が出てきました。 
 池田市から 新たな資料として、3種類 冊子がありました。 その冊子の中に 

 産経新聞 平成元年10月19日号 「阪急沿線の文化財などを描く」報道です。 
 他市町村でもスケッチ画を描き、其々の市町村に寄贈されたことが記載されておりました。 話は聞いていたのですが、記事になると現実味を帯ます。 その中に宝塚市もありました。 

その後、池田市では再度調査され、スケッチ画が図書館の書庫があることが分かりました。
ここまでには 池田市の「福西茂のスケッチ画」探しに2010年から 4年掛りました。 
私がしぶとく市役所を調査したおかげです。 
 最初は 池田の中央公民館で見付けてもらいました。
  池田市の史跡スケッチ集  2010年4月26日
 
 さて、実際に図書館で見せて貰う申し込みをしましたら、担当の方が「市教委と相談する。」との返事です。
 私が、4年間かけて、市教育委員会、資料館、公民館などに問い合わせをしたのが、分からなかったのですが
 今回、30年ぶりにようやく見つかったのです。 私が池田市の文化財を掘り起こしたと云う事になります。
 今まで、何の物やとも思われず、誰にもふれることなく、その存在すら忘れられていたものなのが、図書館の倉庫から見つかったのです。
 ところが、上記の様に、私の池田市に「見させてください。」と言うのに それまでは、何処にあるかもわからなかった福西スケッチ画ですが、見つかった途端、文化財としての対応でした。
 私が見つけるのにお手伝いしたのですが! まあ、経過も知らなかったので、しかたがないことです。
 
 池田市の福西茂のスケッチ画



さて、宝塚市に関しては、新聞報道を元に、宝塚市の図書館で展示会が開催されたかを調べました。 ドジョウはいないかと、前々々回の箕面市、前々回の池田市、前回の川西市と同様調査しました。宝塚市市報には出てきていません。
それは、2014年11月22日土曜日ことでした。
 帰る前に、新聞報道を元に、宝塚市立図書館職員に調べてもらいますが、福西茂氏の冊子はないようでした。

 そこで、あわよくば  何か出るかと ついでに 「福西茂」に関して、新聞の記事を見せて、「宝塚市にあるはずだ。」と聞きますと  「問合せの部署が今日は休みの為 後日連絡をいたします。」とのことでした。
それが 22日土曜日
連休明けの 11月25日火曜日 宝塚の図書館から電話
「福西さんの資料がある。との返事 ・・・「えー 」  能勢町、川西市、箕面市、東住吉区、平野区では見つかっていないので、


ビックリポンヤ!  仰天です。市役所が保管してあるそうです。 「ヤッター」 
「市役所に連絡ください。」  早速、市役所へ電話
「何個かあります。 別なところに 保管してあるので、いつ来られますか!」
見つかりましたね! 

「前任者に問い合わせたら、すぐにわかりました。」とのことでした。
良かった良かった。  
そして、今回 30年ぶりの展示の話になりました。 今後、この絵を市報に載せるなどの活用が期待されます。

 今回、文化財、資料として市に寄贈された物の 記録がなく・データ化がなされていないことを痛感しました。
もしわからなかったら、市報などに載せて この絵について、情報を得る方法もあります。

 宝塚市で初めて見た時


左 「馬街道」 小濵      右 小濱法城の大堀川 小濱

他の市でも、スケッチし下に解説を入れる表現方法は同じようです。 

豊中市での展示会 その① 「庄内・むかしの面影」 2015年7月3日(金)~ 9日(木)
豊中市での展示会 その② 昔の豊中  2014年12月5日(金)~11日(木)
 


行って来ました:小濵宿資料館 4/15

ここは以前に見学していますが  疑問が一つ
この道標です。

有馬から来た人のため
右 大坂   左 のみち
多かった道標  三つの出口に四コ
この道標は 小濵の有馬からの入り口「米谷」側に建っています。
どう見ても、この道が本流と思われるのだが
小濵の人は「川を下って、沢を渡る」とう。
その道は 大変狭いので、馬街道とはならないと思う。
また、和田家住宅の裏側を通る事もおかしい。


明治43年の地図  この道からの 繋がっていたと思われる。
追加訂正 2016/10/20  この橋は 明治8年にかけられたそうです。
    よって、明治の地図には描かれていることになる。     以前の調査 小濵



豊中在住であった福西茂氏のスケッチ画展  in 小濱宿・宝塚市



福西茂スケッチ画展
- 宝塚市の文化財をめぐる -
福西茂氏は大正10年(1921年)大阪市に生まれ、戦前から戦後にかけて大阪
市ないで小中学校の教諭をつて目ました。昭和57年(1982年)定年退職し、退職
後、健康のためサイクリングを始め、「ただ走るだけでは面白くない、何か記録を残そ
う」と訪問先をスケッチすることを思い立ち、まず市の資料などで文化財を調べて訪
問先を決定しました。                                      
 春から秋は早朝5時、冬は朝8時過ぎには愛妻弁当をもって家を出て、夕方6時
ごろスケッチ小旅行をし、一日平均4枚のスケッチを描いたそうです。雨の日も雪の
日も、ロープで自転車に傘を括り付けて出かけました。                  
また、体育・数学・社会など5教科の免状を持ち、税理士・行政書士など5種類の
国家試験を突破しました。北摂地域や大阪市内などを訪れ、ハガキ2枚大の画用
紙に名所・旧跡などを描いたほか、解説なども描き残しました。作品数は、3500点
近くに上がり、関係各市町村へ寄贈され、平成25年(2013年)6月に亡くなられまし
た。                                                 
 今回の展示では、郷土史家・川端道春氏の本を参考に、昭和63年から平成元
年ごろに600点余りのスケッチをされ、平成元年ごろに宝塚市へ寄贈されたものを展
示しています。約30年前の宝塚市の風景をご鑑賞いただき、宝塚市の魅力を発見
していただけましたら幸いでございます。                             
平成28年(2016年)4月  宝塚市教育委員会


展示会場 

展示会場の様子の写真ですが 

削除しました。


大きな写真の下に 福西茂のスケッチ画 が展示されていました。

スケッチの場所が分かるといいので 調べて後日アップします。4/24


  同じように表示されますが、その下に過去のものが表示されます。


帰り道 ブラブラ
 
道路元標  小濵村   石物①


 


中国道の下をくぐると「小濵の宿」

石 物 ②
 
宝暦三年二月の道標
宝塚市中筋山手4の道標 道標50 所在地:中筋山手4丁目 しだれ桜横

南面「すく中山寺道」  西面「左 ざい所道」

石 物 ③

梵字 十一面観世音  泉流寺   山本村 
明治三十二年
 
   御堂が二基  左 奥にあるのが「弘法大師像」を安置、 
右は  庚申塔の安置された御堂

 石物④
 
庚申塔 元禄十六年


「弘法大師像」

石物⑤

目立たない道標でした。 巡礼道の逆コースですのでね!
勝尾寺から来ると判るようになっている。
 
南面 左中山  是(より)   十一丁 西面 右いけ(た)
西面は 確認が取れなかった。
三角形の自然石

石物⑥

この道標はすぐに分かりました。 
振り向くと 石物⑤を見つけました。
  
北面 右さい所 左みの於    西面 (なし)
南面 左池田(□)    東面 施主大坂住吉

これは方向からして違う 


右を向いたら 見つけた石

東面 (梵字)キャ 中山寺道 右 中山 ミち
その他の面 (なし)

宝塚の道標は郷土史家古川んがいます。 資料はあると思います。

宝塚の道標 pdf


歴史の道調査報告書集成 単行本 – 2006/8


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