2017年5月11日木曜日

菅原の道標 再考察 立っている場所が違う

以前の投稿 2011/05/17 一柳家の道標 再度考察 

2017/5/11
 立っていた場所が違う。三叉路に立っていた。

写真:  
⓵②の道標と橋についての投稿は 2011/04/25 
 
現在一柳家の③番に立っているが

 一柳家の道標は ④に立っていた。と考えられる。

 吹田から来た人が「すぐ おおさか」を見る
大阪から来た人は「☞ 瑞光寺道 同江口道が最初に見える。
つぎに「☜(左) 吹田 富田 茨木 道
 
橋の親柱2基 「和合橋」「増島橋」

⓵②は道標がったっている場所
「右大阪」「左ずいかうじ(瑞光寺)、吹田、江口」(文政十二年)    
② 手前「右大坂みち、左すいた、江口わたし」「左大さかみち」 

 大阪から⓵②から右は江口ですが、 北摂から来た人たちの案内で、瑞光寺と同じと考えると理解できる。 
 両方とも 江口とすいたが同じ道になっていのと、一柳家の道標も 瑞光寺と江口と同じ方向を指している。江口の道はこれと思われる。
これは2つも 立っていた場所は現在の場所からはなれ、④までのあいだのどこかに立っていた。と考えると理解できる。一柳家の前がそうなるのではないですか!

0 件のコメント: