神崎川の渡しには
洲到止渡し、三国の渡し、小曽根の渡し、吹田市に入り、榎木の渡、吹田の渡などがある。
洲到止渡しの近辺には道標は見当たらないが、地理的に三国街道を利用していた物と考えられる。
天竺川には大阪市三国から渡しで三国に渡る。能勢街道です。
大阪市の三国にある碑
碑文によると
正平十七年(1362年)にすでに存在していたと「太平記」に記されている。
三国に渡った後、天竺川の西側の堤防を歩く
道田小橋 三国街道が川を渡り、小曽根の渡しへ
そのまま北上する
この橋の手前に道標があるようであるが、確認は出来ていない。
ここにも道標は出てこない。
ここが分岐
ここは大きな分岐であるので 道標が必要だ。
「疑問の道標」http://space.geocities.jp/fkyws889/miti_.html がここにあったと考えられる。
天竺川長嶋神社横堤防 ⑦
昔、ここには、茶店があったらしい。
能勢街道を下りるとマンションの駐車場横に
祠が 中に地蔵が4基
その他
高市先生の「疑問の碑」から始まった「西南戦争招魂碑」はここにある。
天竺川の堤防は服部公園まで松並木が続き、街道の面影を残すが、
今までの資料では道路、街道としるされていない。
私は問題の道標がここに立っていたら、熊野田への近道として有望される。 また、長興寺村明細書には 煙硝関係の普請明細書に船着き場の修理が取り上げられているので、物資の輸送に天竺川を利用していたのではないでしょうか?
庄内東4丁目で堤防を降り服部へ
野田の堤防がある。 その道も存在した。
この後、服部をすぎ能勢街道と箕面街道との分岐まで関連した道標はない。
というよりか、「疑問の道標」が存在しないとしたら、
能勢街道には「勝尾寺」への案内はない。
洲到止渡し、三国の渡し、小曽根の渡し、吹田市に入り、榎木の渡、吹田の渡などがある。
洲到止渡しの近辺には道標は見当たらないが、地理的に三国街道を利用していた物と考えられる。
天竺川には大阪市三国から渡しで三国に渡る。能勢街道です。
大阪市の三国にある碑
碑文によると
正平十七年(1362年)にすでに存在していたと「太平記」に記されている。
三国に渡った後、天竺川の西側の堤防を歩く
道田小橋 三国街道が川を渡り、小曽根の渡しへ
そのまま北上する
この橋の手前に道標があるようであるが、確認は出来ていない。
ここにも道標は出てこない。
ここが分岐
ここは大きな分岐であるので 道標が必要だ。
「疑問の道標」http://space.geocities.jp/fkyws889/miti_.html がここにあったと考えられる。
天竺川長嶋神社横堤防 ⑦
昔、ここには、茶店があったらしい。
能勢街道を下りるとマンションの駐車場横に
祠が 中に地蔵が4基
その他
高市先生の「疑問の碑」から始まった「西南戦争招魂碑」はここにある。
天竺川の堤防は服部公園まで松並木が続き、街道の面影を残すが、
今までの資料では道路、街道としるされていない。
私は問題の道標がここに立っていたら、熊野田への近道として有望される。 また、長興寺村明細書には 煙硝関係の普請明細書に船着き場の修理が取り上げられているので、物資の輸送に天竺川を利用していたのではないでしょうか?
庄内東4丁目で堤防を降り服部へ
野田の堤防がある。 その道も存在した。
この後、服部をすぎ能勢街道と箕面街道との分岐まで関連した道標はない。
というよりか、「疑問の道標」が存在しないとしたら、
能勢街道には「勝尾寺」への案内はない。
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追加 2012/03/25
あなたはどのルートを撮りますか
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