この道標らは 表記「為万人講衆中法界」その他表記は同じ、形状、太さも14~15cm、高さ 61~62cm のけして大きくない道標 この道標は箕面で2基の存在が確認されており別名「万人講道標」と呼ばれている。
万人講1基 箕面の道しるべ NO.48
勝尾寺山門前の8丁石の2丁石と3丁石の間に右に降りる道・しらみ地蔵道がある。
万人講2基 箕面の道しるべ NO.46
西国街道を勝尾寺の鳥居を西進し、今宮で大阪への道がある。
そこの立っていた道標で 大阪への案内をしている。
「大阪道みなみ口 願主 岸貞」 現在は箕面市立資料館で保管
今宮にあったとされる 万人講2 こちらへ
万人講3 「上新田西口道標」豊中市上新田3丁目3 旧新田小学校校舎
箕面市立郷土資料館
正面 「南無阿弥●●」
左面 「為万人●●」
右面 「左大坂●」
裏面「右くま●●」
「この道標の所在につきましては、豊中市立第十三中学校教諭の上村 和功 氏から
当館にご教示がありました。 展示にあたりましてお礼申しあげます。」
当館にご教示がありました。 展示にあたりましてお礼申しあげます。」
左 2009年3月26日墓地で見つける 墓地で見つけ 右 元の位置旧新田小学校に移築
2009年3月26日 翌年案内杭を設置 2019年3月1日 豊中の「文化財ニュース」で紹介2013/3/31
以上 3基はすべて 大坂への案内になっている。
この道標に説明・解説を頂いております。
こちらをご覧ください。下記の 項は 「17.豊中市上新田3道標」
万人講4 現在 吹田市江坂町3丁目68−11 素盞嗚尊神社境内 油掛地蔵尊
この道標は 冊子「豊中市の文化財 道標編」p37に NO.30で紹介されている。
昭和50年には豊中市に存在していたものである。この道標だけ、大坂道への道しるべでなく「かちをうし」と称し行く方向「勝尾寺」を示し、勝尾寺への出発点を表示しているようだ。 この道標の旧在所は高川の右岸の三国街道沿いの三叉路に立っていたと考えられる。三国街道では勝尾寺から十八条の渡しで大坂へ、交差点を左に取ると「横関街道」で横関の渡しで大坂へとなる。横関街道が三国街道に合流する地点に立っていたものと考えられる。
他のサイト 紹介 ありがとうございます。
17.豊中市上新田3道標
中国の大返し「少し歴史の話」へ ようこそ
これはすごいですよ 一度ご覧ください。
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