2015年11月22日日曜日

意外な 道路元標 12基 今回は木製??

ここは姫路 「御着城跡」
パンフ

右下の 木製の道路元標  私は初めて
元標をやっている人がいます。其のサイトを見ると 木製があります。
明治の頃 国の政策で隣町へ県庁への距離を掲げた、元標を設定すること
ようなったが、完全には実行されていなく、最初は木製のものもあったようだ。

吹田市では 大正当所の村々に設置されていたようですが
吹田市内では見受けられません。
道標と同じ、歴史の足跡が見当たらない。


道路元標のサイト

私の道路元標   12基

移動されている物もあります。 

京都市内で見つけた奈良県「法隆寺村」の道路元標

大阪府内で現存する物は少ない。

豊中の道路元標

道標と同じ運命か ではない、
現在の道路案内表示も国の政策
道路元表は 国の政策で設置

原因となるのは、都市化が早く進んだから
必用でなくなった昔の遺物

そこで、昔の遺物として残すのか!処分してしまうのか!
そこには、都市化とか、田舎だったからというのではないようで、
遺物に対する文化が無かった、薄かった文化ではないでしょうか!
科学が進んでいなかった、検証が行われなかった。知っている人がいなかった。
工事現場の作業をする人達までその文化が伝わっていなかったからと考えます。

他の文化財も同じ、子供達まで文化財、物を大事にすることなどと同じ
何を大事にするか 広めていかねばなりません。

さて、道端に立っている「道標」の設立者は
講、個人が立てている者が多い
旅を安全に、道を間違えないようにと設立しています。
現在でいうならば、慈善事業・ボランティアです。
このような、行為の物を粗末にするとは・・・・


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