2015年10月1日木曜日

「引江の渡し」があった!2   

平塚さんから 絵図が贈られてきました。 有難うございます。
 
大坂町中並村々絵図
渡し 右から 「吹田の渡し」、「新田の渡し」:「引江の渡し」、
丸印は「榎木の渡し」、一番左が「小曽根の渡し」

摂津市史別巻表紙(1827年)淀川浚渫騒動の際の資料図

以前の紹介ページ 
「吹田にもう一つの「渡し」があった! 伏越樋の図解」 
                                2011年10月13日木曜日


      明治18年仮装図 では、吹田側「字上新田」から 
                      対岸の「淡路字引江」(引江村)へ渡しの様になっている。
さらによく見ると、神崎川両岸の堤防には道路があり、その道から河原に降りる道がある。
            起は定かでないが、江戸時代からあったものとおもわれる
            明治18年には、その形跡が伺えることが出来る。
明治44年大阪府に出された「新田渡船場」 渡船願いは、ズート後のことになる。            

この渡しは、街道としての渡しの使用でなく、近隣の交通手段としてつかわれていたもので、歴史上には登場していなかったものと思われる。 上新田村と引江村 名称は・・・・
     上新田は千里中央にもあるのですが、
    「新田の渡し」:「引江の渡し」としました。

     以前上新田で見つけた道標にこの村から出口、全てにあるので「上新田西口道標」と命名しましたが、  分かりやすいのは「旧新田小学校の道標」であれば、分かりやすいと思い、加えました。


        引江の右側にある川・水路が「新太郎松樋」「中島大水道」の起点となります。
          左には 蒲田街道の蒲田村が見える。
         明治18年の地図と 文章を追加 2015/09/27


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