京都で野がついている所は埋葬地と思っていい
墓地。火葬場。地名となっている所が多い。特に、京都市北区船岡山の西麓の地が有名
化野・蓮台野・鳥辺野・紫野・・・昔の葬送の地
京都には鳥部野(とりべの)・蓮台野(れんだいの)・化野(あだしの)等があります。
鳥部野は今の清水寺です。清水の舞台の下あたりと言われています。
鳥辺野という地名について、死んだ人を木に吊し、その肉を鳥に喰らわせる「鳥葬」の地だった事から名付けられた。
延鎮上人がそれらの魂を供養しようと、宝亀9年(778)に“音羽の滝”近くに庵を結んだのが清水寺の始まりです。
その後奥州征伐に向かう途中の坂上田村麻呂が、水を求め立ち寄り(これが清水寺の名の由来)延鎮上人に帰依し、征伐の終わった延暦17年(798)に、京都に都が移るまで都であった長岡京の旧宸殿を移築したのが今の建物の前身です。
化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)
墓地。火葬場。地名となっている所が多い。特に、京都市北区船岡山の西麓の地が有名
化野・蓮台野・鳥辺野・紫野・・・昔の葬送の地
京都には鳥部野(とりべの)・蓮台野(れんだいの)・化野(あだしの)等があります。
鳥部野は今の清水寺です。清水の舞台の下あたりと言われています。
鳥辺野という地名について、死んだ人を木に吊し、その肉を鳥に喰らわせる「鳥葬」の地だった事から名付けられた。
延鎮上人がそれらの魂を供養しようと、宝亀9年(778)に“音羽の滝”近くに庵を結んだのが清水寺の始まりです。
その後奥州征伐に向かう途中の坂上田村麻呂が、水を求め立ち寄り(これが清水寺の名の由来)延鎮上人に帰依し、征伐の終わった延暦17年(798)に、京都に都が移るまで都であった長岡京の旧宸殿を移築したのが今の建物の前身です。
化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)
もう一つのがんこ亭宝塚苑の石物
正面 蓮 臺 野
右面 享禄己丑二年正月
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