2008年8月31日日曜日

庚申塔 地蔵 箕面・池田・川西 

     巡礼道   勝尾寺・中山寺                  同九本川の横   東畑の庚申塔?
        新稲(箕面)の庚申塔&地蔵               
               新稲 庚申塔&大杉の切り株
  三尸(さんし) 

2008年8月30日土曜日

町中の 地蔵さん 庄内














いつも カメラを持って町を歩きます。

  国道横 消防団の機器倉庫横

  そして、  もう一枚














    祭ってあるのは  誰でしょう?

  多くの地蔵には

    このように 石を削ったものがおおくあります。

近くの地蔵さんを扉をあけて、見て下さい。 色んな地蔵があります。

 同じ顔、形の物がないこともおもしろいです。

2008年8月26日火曜日

最古の道標  京都 対 大阪 追加 神戸市、松原市

2013年9月 追加メモ
このページがヒットしていましたので 再調査
飯田最古の道標   見事です周りを石で固めてあり飯田観光協会の案内板あり
飯田最古の道標   大横町と殿町交差点  年号はないようだ

滋賀県最古の道標  延宝8

  調査 兵庫県最古の道標
 その他 古いの道標 道標年表

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9/8 追加   兵庫県の最も古い道標 
兵庫県の古い道標 (他のサイト) 寛文8年(1668)
宝塚市 姥ケ茶屋(ばんがちゃや)の道標
宝塚市指定文化財
 

8/30 追加    2点
神戸市の古い道標  亨保15年 (1730)

松原市の古い道標  天和2年(1682) 81追分地蔵尊道標と伝承
一度 お確かめ下さい。
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2012/05/20  リンク漏れを確認
改めて見ました  松原市役所hp「歴史」のページ   松原市の歴史ウォーク161-180 
 「郷土史を知る」、「子どももに伝える郷土の歴史」でしょう。 いいですね!
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千年の都 京都  いつ訪れても 心が癒される。
商都 大阪 豊臣秀吉が大阪城を築いてからか
道標(みちしるべ)を見てみると 「最古の道標」で検索  色々ありました。
その中で 「えー  ・・・・」 と思ったのは
京都市で一番古い道標は 三条通白川橋東入五軒町(三条白川橋)道標
京都市指定・登録文化財-史跡  延宝6年(1678年)
大阪府では これよりも古い道標は 6件 その内北摂には4件存在する。 
庶民の文化が 千年の都 より 古くからあった ということでしょうか!
世話好き、信心深いか
みなさんは どう思いますか!



先祖は豪かった 宮崎市の史跡に 「龍福寺仁王尊」 横山勘兵衛寄進


現在 宮崎市指定 史跡 118.龍福寺仁王尊 となっている。 
この金剛力士像は本「高岡の碑」著者 首藤光幸の表紙を飾っている。
高岡小学校歴史学習資料に掲載

8888888888888888888888888888888888888888888888888  2012/11/22  追加
 金剛力士像・・・・龍福寺跡
 高浜神社 ・ 宝暦七年(1757)12月 再建 平成2年母「ヨシ」常夜灯・由緒書きを寄進
 法華岳薬師寺時計を寄進)  瓜生野八幡屋根銅板の寄進 
 もさるの水神様建立   面早流の水神建立、別サイト 
 本永寺の地蔵尊 ・  カンベイが逮捕した、馬泥棒 笹原弥右衛門
              逮捕後、薩摩で処刑された笹原弥右衛門の霊の供養のため建立
 勘兵衛新田・・・飯田山口 聞き忘れていたのでしょうか?
   
 勘兵衛墓 「観音菩薩像」、「父、母の墓」 先祖の供養
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前回のペルー来航の話より ズーと前の話ですが

私も先祖のことを調べています。

母方の先祖で 横山勘兵衛 そのページは こちら です。

ネット上で4件 本に1件(一部で紹介) されていました。

自分が知っていなければいけないことですが、

調べて 分かったことがおおかったです。

その町に 行くと 「あれは カンベイが作った物だ」と

今から250年前 江戸時代のことですが、すぐに答えてくれます。

その話が今後も言い伝えられる事を願います。

我々子孫は、この話を次の世代に語り継ぎ、仏像が壊されるとか、

その町で語り継がれるよう、薄れないようにしなければならないと思う。

偉い先祖です。  私も それに恥じないよう、努力したいと思います。

   
先祖の 墓
                             横山勘兵衛

親の墓が立派なのは 子どもが金持ちか!
家・墓を維持するのには、お金がかかる。

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追加 2012/03/10
ネットで検索 別なサイトで見つけました、
北諸県郡山之口町仲田の山林内に建立してあったものを
高岡町に移築したのは 横山 勘兵衛の子孫  私の母「ヨシ」と叔母の「三石喋」の2名です。
その2名は もう1個  高浜神社の宮司さんからの依頼で常夜灯と由緒書きを寄進している。
その時の会話で 「おふくろ、後世に名を残したね! よかったね!」
母は小さい時から丁稚奉公に出され苦労していました。母の自慢は、丁稚奉公の形に
地主さんから小さい土地を貰ったことでした。下の川(大淀川)に渡しがあり、幹線沿いでバス停(狩野)の前で雑貨屋を営んでいました。現在は更地で次男が譲り受けました。 その母親が、先祖 横山勘兵衛の子孫として
常夜灯に「横山勘兵衛の子孫    ヨシ」 母は先祖のことをつないで行こう、横山勘兵衛の名を残すように、「カンベイバカ」、「遺跡」などを管理しました。

高岡町(現在 宮崎市)から山之口町(現在 都城市)これも遠いです、15キロ
なんのゆかりがあったのでしょうか!

大きな地図で見る


追加  横山勘兵衛 他のサイトです。

あまりにも長いものですので コピーさせていただきました、
ファイル名 ”天ヶ城 (桜祭り)(天ヶ城跡、天ヶ城址、高岡城、高岡城跡、天ヶ城公園、あまが城公園、アマガ城公園、あまがじょう公園)|宮崎観光

写真GT: 五輪塔、石碑(せきひ)、石造物があります。


写真GU: 石碑(せきひ)。
この山の神唐獅子(からじし)などは北諸県郡山之口町仲田の山林内に建立してあったものを山之口町文化財保護委員会と話し合いの上施主横山勘兵衛の子孫がここに移し立てたるものなり
と書いてあります。


写真GV: 五輪塔、唐獅子(からじし)など。


写真GW: 石碑など。

同じページに )(天ヶ城跡、天ヶ城址、高岡城、高岡城跡、天ヶ城公園、の

桜と展望のいいのがありますので それも借用しました。
天ヶ城公園  大淀川上流方向
桜の名所 大淀川下流、宮崎市へ 

天ヶ城資料館

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追加 
みなさんも 自分の「ルーツの旅」をやってみてください。
割と知らないことが多いと思います。
自分の先祖を知り、そのことを言い伝えることも現代に生きる我々の役目ではないでしょうか。

これから「石物」に興味を持ったのか!
そうでなく、ブログ開設時に色んな資料を残そうと思いました。
道標の探索を行うことから、今まで忘れていた、 横山勘兵衛」 も取り上げました。
色々 追加して出来上がったのが横山勘兵衛 Ⅱ」のページです。

2008年8月25日月曜日

価値が分かる!石橋の道標 西国街道と能勢街道の分岐

 溝の改修工事で見つけた道標 その主は

 道標の事で、お話ししましたら。その他のことも

 山形さんの先祖の話です。 新聞にも紹介されましたので 掲載しました。

古文書を見つけ、その鑑定を阪大の先生に頼まれたそうです。 その結果。・・・・・

上の新聞で紹介されました。 

 先祖は幕末のペルー来航の折、江戸の警護のため派遣された「郷士」と言われます。

  ペルー来航は何年???

 「若い頃は、先祖、墓 あまり 関心が深いわけではなかった。」
 
「しかし、この先祖が その時 死んでいたら、自分は無い!」 と思われ、

 それ以後 後世に、語り接ぐ、資料を残す事に 励んでおられます。

 息子、孫 が同居 してくれているのも 先祖のおかげだ とも 言っておられました。

 そして 

「言い伝えること 先祖を」と言われ、もう一度 自分の家の墓を見直されたそうです。

  今日は 道標の事を書くことにしていましたが、 今日の題材は これで十分です。

いい話をきかせてもらいました。

  
追加 移動  石橋の道標  2010/10/18
 

2008年8月23日土曜日

能勢街道 池田市の追加

池田市の道標

1. 井口堂の道標

2. ニシンジョ 有馬道を示す道標

3. 能勢街道の案内板

能勢街道マップに追加しました。



豊中市の道標  まとめ

豊中最古の道標    天明元年 上新田

 ゴミではありません。   案内板はありません。


8/10 今宮の墓地の道標

8/10 豊中市の道標一覧と の当時と現在をまとめる。

7/30 豊中の道標 今と昔 当時の様子(昭和50年)

7/7  豊中市の道標一覧表を作成しました。

6/29 勝尾寺街道 地図 勝尾寺街道 熊野田街道

6/25 「道標」を手に入れました。 昭和50年「豊中市の文化財 道標編」です。

      昔のことが身近になりました。       現在残っているのかその所在から確認しなければなりません。       ハイキングの好きな方、写真の好きな方、歴史の好きな方、       色んな分野で活躍されている方 ターゲットを「道標」でやってみませんか!!     みなさんのお手伝いをさせて頂きます。             昭和50年発行 豊中市教育委員会  30年前です。  こういう物の存在も分からないもので、  先人達のご苦労が伺えます。  さて、次の時代に継承するには これも大変です。   
 6/24 やっと、やっと来ました 返事がありました。 返事を貰っていてこんなことは言うのは失礼ですが、対応がまずい、 私は再度質問しようと思っていいたところですから 13日の質問です、今日 24日 10日間もかかるのであれば  「他市であれば、受け取りましたと言うのが一報のはずですが!!」

6/26 豊中の資料によりますと、30道標があげてあり、そこで、勝尾寺に関しては、一番遠い道標は、長島神社堤防の道標ですが、取り上げてありません。 何故でしょうか?
 高川堤に1基、吹田江坂に2基、上新田に4基、樫の木池に1基、春日町に1基があった。
       おもに、旧表参道(新家)よりお詣りしていたと伺える。
       勝尾寺へお詣りは鳥居のある新家の表参道(旧)が主で、大阪の人たちは上新田を経由してお詣りした。

   勝尾寺街道 マップ  

大きな地図で見る

  

  豊中の道標     道標と街道

    右の地図に昔の街道と道標が記されています。

    何となく 街道は分かります。マップをクリックするとおおきくなります。
 
   道の分岐には、道標と もう一つ  「お地蔵さん」があります。


  豊中では    
   32基の道標が説明されていますが、当時、すでにない物もあります。  その後 40年が経過し、現存するか未確認です。

 

  熊野田街道(勝尾寺街道)と勝尾寺への道標を調べています。


 一度失ったものは、元には戻らない、

  消える昔の町並み、風情、を  点と点で 探っていきます。  「道標」







 

豊中市の道標一覧 まとめ

8/13 一覧表と道標写真をまとめる

7/30 豊中の道標 今と昔 当時の様子(昭和50年)
  


7/7  豊中市の道標一覧表を作成しました。

 

2008年8月22日金曜日

道標 記録  早い箕面市

7/1  箕面市に道標で問い合わせ  返事あり
勝尾寺街道の道標に関するご質問について回答いたします。
豊中市で『勝尾寺街道』と称している道は、能勢街道から豊中市内で分岐して勝尾寺へ向かうため
『勝尾寺街道』と称されてますが、箕面では勝尾寺から大阪へ向かう道であることから『勝尾寺・大阪
道』と称しています。
豊中市の新田から吹田市の北千里付近を経由して、箕面市内の今宮・外院を経由して山中に入り
途中で『巡礼街道(勝尾寺~中山寺道)』と合流して勝尾寺に至ります。
この区間の箕面市内の道標は下記のとおりです。

①今宮墓地の道標「右かちおうし/左●けた/道」 旧道から移転?
②今宮会館の道標「右大坂/左野/道」 旧道から移転?
③「左大坂」「大坂道みなみへ・・・」 西国街道との分岐点付近に埋没していた。下部破損。郷土資料館保管
④「右中山」「左大坂」 巡礼道との分岐点
⑤「右か●●」下部欠損 山中
⑥「左たいしゃく」「右中山又大坂ミち」 勝尾寺旧参道との分岐点

以上6基が冊子「箕面の道しるべ」に収録していますが、⑦としてウツギ谷池付近で馬頭観音を刻んだ
道標が見つかっていますので、計7本になります。(ただし町石は省く)

2008年8月20日水曜日

2008年8月14日木曜日

道標マップ:池田市で一番古い道標

    一番古い道標
   池田市東山 余野街道


大きな地図で見る

2008年8月13日水曜日

大阪府下4番目古い道標 池田市 2回目で見つけ

   池田市最古の道標  東山道標
   東山の道標   寛文10年2月   久安寺前道標 同年12月 建立


  前回 周りを観察したが、見つけることが出来ませんでした。


 車が通る国道側に建っています、のでわかりませんでした。  

古い道標 年表一覧はこちら


   これは 古江橋横の道標 前回、道路際に車が留めていてわからず。
 安永3年(1774)  高い方「右妙見山、左多田院」
 背の低い方「左妙見」  


  星の宮前の道標  左 京 大阪道  
  上池田薬師堂 内部 毎月8日お参りのため 解放される。

やがて消えていく道だから 「グラフいけだ」

池田 「あわん堂」一石五輪塔 薬師如来 2008/08/09

池田の市町村合併

再調査 新しいことが  2014年1月14日火曜日

一枚のスケッチから 池田市資料 調査 2014年1月11日土曜日

2008年8月8日金曜日

池田の道標 府下で一番古い?

池田市の道標 一番古いのは下記の道標
池田市東山の道標  寛文10年2月


  池田市久安寺前道標 寛文10年10月
この道標は ある市の街道マップに「府下最古の道標」として紹介されています。 
府下最古の道標は こちら  
古い道標一覧は こちら
この道標です。 東山の道標は 石に隠れていました。

 先月行きましたが、見つけることが出来ませんでした。



この道標は

 「大阪の街道・道標」では 4番目、5番目に紅葉が有名な久安寺前の道標と紹介されています。
ちなみに、一番古いとされている道標は 江戸時代の宝徳三年の穴太寺巡礼道にある
道標です。
 



 

2008年8月2日土曜日

豊中市の道標 上新田と勝尾寺  思い違い それとも

豊中の道標 30基 調査昭和50年 当時すでになくなっている物もありました。

その資料によりますと
その1

 「見つけた道標」4基 は入って言いません。・・・道標では無いのでしょうか? 
折れたのか 小さい、低い、それに文字がはっきりしないのが欠点  年号がない、 

その2
 長嶋住吉神社よこの堤防にある 道標 下の写真です。 

 この道標 が取り上げられていません。 何故でしょうか!
   右 勝尾寺  左 みのをせ川
  私のサイトでは(「疑問の道標」)ページに取り上げています。 

 本 「大坂の街道・道標」または、インターネットにはこの道標が取り上げられているのですが。

 その3 
 保管場所として昔、緑地公園にあった「原野農芸博物館」所蔵になっている道標が多くありました。
 全て 奄美大島に持って行かれたのでしょうか!
6/26 勝尾寺に関して、豊中の資料によりますと、30道標があげてあり、一番遠い道標は、長島神社堤防の道標ですが、資料には表示がありません。
 高川堤に1基、吹田江坂に2基、上新田に4基、樫の木池に1基、春日町に1基があった。
 勝尾寺にはおもに、表参道(新家)よりお詣りしていたと伺える。
   大阪の人たちは上新田を経由してお詣りしたようだ。