2023年5月23日火曜日

「茅の輪くぐり」案内 榎坂の道標について 問い合わせがあり ④ 移築された道標 2基 ③ 吹田の道標  ② 明治44の地図  ① 横関街道

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蔵人稲荷神社で 本日30日のPM3から
  茅野輪くぐり があります。


榎坂 蔵人稲荷神社 「茅の輪くぐり」

蔵人稲荷神社


榎坂の道標について 問い合わせがあり


④ 見つかった道標 2基 と 福知山の道標

  江坂西西道標 と   江坂の万人講道標4

  
 この2基は一方向を示している 右 かちおじ で三叉路に立っていた可能性が大である。
 そこで、下記の 明治44年の地図では 榎坂から勝尾寺へは 三国街道で合流し、勝尾寺への 案内で この2基は 横関街道でここ高川の右岸堤防・三国街道沿い 豊中市側に立っていたものと思われる。
この2基は いろいろと話題を提供しています。第一に 左側の道標「下の立石」と考えられています。「上の立石」、「中の立石」、「下の立石」。 また、右側の道標・万人講は「豊中市の文化財 道標編」1975年 p37に NO。30に記載されているものであり、調査した人達は 豊中市民 その後、橋の改修により、2基の道標の行方がわからなくなったと思われる。  

福知山の道標の調査   

江坂 素盞嗚尊神社の油かけ地蔵 
上の「万人講」と同じく 地蔵群の中で見つける。


吹田の道標


「すいた環境学習協会 まち組」

  道標本いろいろ

②  明治44の地図 

  今昔マップで点検中 このルートを表記しました。

  まだ新道ができていない状態です。

  

     赤い南北の道 「横関街道」

  青い南北の道 「三国街道」上新田迄   高川の堤防

  黒色東西の道 「吹田街道」

  中央上の丸印は 素盞嗚尊神社 榎坂の万人講道標を見つける。

                                                                 
                                       高川・三国街道          横関街道
明治44年の地図  今昔マップ


①. 横関街道 については このブログで理解されている方です。

  横関村は存在しない。  在ったとしても 明治以降だと思われる。

  資料として 絵図がある

  

  街道の名称は 行先を表示が一般的 勝尾寺、中山寺、地名としては 岡町、茨木、吹田など

  

地図 左右 地図1,地図2
地図左(地図1)
  右の縦の道 新御堂筋、右上から左中央緑の線 名神高速
   赤色の南北「横関街道」クランクになっているのが東西「吹田街道」
   吹田街道の下の道がバス道で 府道145号線
   横関街道の左 南北の新道:熊野大阪線:府道134号線 
   横関街道は 淀川の「横関の渡し」から 新大阪・宮原・榎木の渡しで吹田へ 
   北上し、江坂・東西の吹田街道をクランクして 高川で三国街道と合流し終わる!
   三国街道は 上新田で勝尾寺街道合流し終点となる。

地図右(地図2) 左の地図の赤丸の部分を拡大したもの
   一番下の東西の道が「  街道」です。

   道標イロハの説明
    道標イ、ロは江坂西道標と説明版が設置     
    道標ハは江坂西西道標 新しく見つかった道標 旧在所・・・・
        「下の立石」
    道標2.江坂東道標

     それ以外に 見つかった道標 2011年8月17日 素戔嗚尊神社の油掛け地蔵で見つける
   万人講4


  

1 件のコメント:

  1. 今頃になってですが...
    ②の地図は「明治44の地図」ではありません。
    昭和4年測図です。
    府道の新道は明治時代にはできていません。
    大正から昭和の初めです。

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