寛保年間 1741~1744
1831(天保2)年 安治川の浚渫土砂により天保山が築かれる
1831(天保2)年に行われた浚渫工事は、それまでに比べて最も大規模に行われました。この工事には、延べ10万人以上の人が参加しましたが、各町などから揃いの衣装を作ったり、太鼓やお囃子(はやし)で盛り上げたりとお祭り騒ぎの労働奉仕だったので、幕府から注意を受けたりしたようです。
この時に川底からさらわれた土砂でつくられたのが「目印山」と言われ、後に、その時の年号から「天保山」と名付けられました。
今の天保山は、標高4.53メートルの日本で一番低い山ですが、江戸時代の天保山は、高さ約20mほどもあり、風光明美で桜も植えられ、茶店があり、花見や雪見、船遊びなどで大変にぎわいまし。 大阪市港区hpより
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