今日は浜屋敷「加賀真佐子文庫」でボランティア
夜、会う約束には時間があるので、
先日の撮り忘れた道標を求めて 亀岡街道 菅原Ⅱ
前回 まよいまよい・・・ 前回の調査
間違ったところから再スタート
風流ですね! 塀と石垣
亀岡街道です。 その横に公園が
「わがふはし」橋の欄干 公園を散策 もうひとつありました。
「和合橋」 昭和二年十二月架橋
前回見つけた欄干
「増島橋」欄干 淀川の北部を並行して流れていたのか!
移動しました。
立派な門構えの家です。
そうそう、この塀の先に道標が
この塀には 瓦が埋め込まれていました。
正面
☞(右) 厄除・安産 正権世音 瑞光寺道 同江口道
瑞光寺 は クジラ橋 で有名です。
裏面 すぐ 大阪道
左面
☜(左) 吹田 富田 茨木 道
この道標は もともと道路の反対側に立っていたものでしょう。
再度考察 2017/5/11
立っていた場所が違う。三叉路に立っていた。
橋の親柱2基 「和合橋」「増島橋」は移動している。
⓵②は道標が立っていた場所
表示
⓵ 「右大阪」「左ずいかうじ(瑞光寺)、吹田、江口」(文政十二年)
② 「右大坂みち、左すいた、江口わたし」「左大さかみち」
大阪から⓵②から右は江口ですが、 北摂から来た人たちの案内で、瑞光寺と同じと考えると理解できる。
両方とも 江口とすいたが同じ道になっていのと、一柳家の道標も 瑞光寺と江口と同じ方向を指している。江口の道はこれと思われるのが交差点④です。
これは2つも 立っていた場所は現在の場所からはなれ、④までのあいだのどこかに立っていた。と考えると理解できる。一柳家の前がそうなるのではないですか!
妙見宮、柳谷 権世音の銘が読み取れる 嘉永六年
大峰山 三十三回記念として建てたものです。
上は黒いので 火災にあったのでしょう。
ここいらの自治会長さん
前回の「国次町」について教えてもらいました。
ここの地名 あざ名「増島」(ましま)から「国次町」に変更したのがこの方のお父さんです。
刀鍛冶の「国次」が祭ってある寺が淡路の西方にあり、それにあやかって「国次町」とつけられたそうです。
「もともとは境界線道路にあったが、自宅の敷地に移した。」といわれました。
ここで終わります。
この後、阪急淡路を目指します。
歩いた距離は 阪急吹田駅から浜屋敷から菅原1丁目そして
淡路を目指しました。
迷い迷い ようやく着きました、集合の時間に遅れること20分でした。
車に付いているカーナビ、「これはカーナビ私用に必要だ。」
淡路で道路に「街道のマーク」がありました。
またまた、歩くといろいろぶつかります。
**********************************
亀岡街道 まよいまよい 新しい発見が・・・・ (前回の調査) 2011年4月25日月曜日
2013/03/20
東淀川区東部 Ⅰ 2011年12月9日金曜日
東淀川東部の探索 2―1 2012年1月3日火曜日
東淀川区の探索 2―Ⅱ 2012年1月4日水曜日
東淀川区の探索 2―Ⅲ 後半 淡路まで 2012年1月5日木曜日
東淀川区東部探検 Ⅲ 2011年12月12日月曜日
東淀川区探索 Ⅳ 江口の堂 2011年12月13日火曜日
東淀川区の探索 Ⅴ 2011年12月22日木曜日
一挙に 三千橋個! 水の流れない川・橋 2011年12月12日月曜日
夜、会う約束には時間があるので、
先日の撮り忘れた道標を求めて 亀岡街道 菅原Ⅱ
前回 まよいまよい・・・ 前回の調査
間違ったところから再スタート
風流ですね! 塀と石垣
亀岡街道です。 その横に公園が
「わがふはし」橋の欄干 公園を散策 もうひとつありました。
「和合橋」 昭和二年十二月架橋
前回見つけた欄干
「増島橋」欄干 淀川の北部を並行して流れていたのか!
移動しました。
立派な門構えの家です。
そうそう、この塀の先に道標が
この塀には 瓦が埋め込まれていました。
正面
☞(右) 厄除・安産 正権世音 瑞光寺道 同江口道
瑞光寺 は クジラ橋 で有名です。
裏面 すぐ 大阪道
左面
☜(左) 吹田 富田 茨木 道
この道標は もともと道路の反対側に立っていたものでしょう。
再度考察 2017/5/11
立っていた場所が違う。三叉路に立っていた。
現在一柳家の③番に立っているが
一柳家の道標は ④に立っていた。と考えられる。
吹田から来た人が「すぐ おおさか」を見る
大阪から来た人は「☞ 瑞光寺道 同江口道」が最初に見える。橋の親柱2基 「和合橋」「増島橋」は移動している。
⓵②は道標が立っていた場所
表示
⓵ 「右大阪」「左ずいかうじ(瑞光寺)、吹田、江口」(文政十二年)
② 「右大坂みち、左すいた、江口わたし」「左大さかみち」
大阪から⓵②から右は江口ですが、 北摂から来た人たちの案内で、瑞光寺と同じと考えると理解できる。
両方とも 江口とすいたが同じ道になっていのと、一柳家の道標も 瑞光寺と江口と同じ方向を指している。江口の道はこれと思われるのが交差点④です。
これは2つも 立っていた場所は現在の場所からはなれ、④までのあいだのどこかに立っていた。と考えると理解できる。一柳家の前がそうなるのではないですか!
妙見宮、柳谷 権世音の銘が読み取れる 嘉永六年
大峰山 三十三回記念として建てたものです。
上は黒いので 火災にあったのでしょう。
ここいらの自治会長さん
前回の「国次町」について教えてもらいました。
ここの地名 あざ名「増島」(ましま)から「国次町」に変更したのがこの方のお父さんです。
刀鍛冶の「国次」が祭ってある寺が淡路の西方にあり、それにあやかって「国次町」とつけられたそうです。
「もともとは境界線道路にあったが、自宅の敷地に移した。」といわれました。
ここで終わります。
この後、阪急淡路を目指します。
歩いた距離は 阪急吹田駅から浜屋敷から菅原1丁目そして
淡路を目指しました。
迷い迷い ようやく着きました、集合の時間に遅れること20分でした。
車に付いているカーナビ、「これはカーナビ私用に必要だ。」
淡路で道路に「街道のマーク」がありました。
またまた、歩くといろいろぶつかります。
**********************************
亀岡街道 まよいまよい 新しい発見が・・・・ (前回の調査) 2011年4月25日月曜日
2013/03/20
東淀川区東部 Ⅰ 2011年12月9日金曜日
東淀川東部の探索 2―1 2012年1月3日火曜日
東淀川区の探索 2―Ⅱ 2012年1月4日水曜日
東淀川区の探索 2―Ⅲ 後半 淡路まで 2012年1月5日木曜日
東淀川区東部探検 Ⅲ 2011年12月12日月曜日
東淀川区探索 Ⅳ 江口の堂 2011年12月13日火曜日
東淀川区の探索 Ⅴ 2011年12月22日木曜日
一挙に 三千橋個! 水の流れない川・橋 2011年12月12日月曜日
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