2009年6月29日月曜日

岩倉・鞍馬

今日は2基
字体はどこかで見ました。



延命地蔵で
十福

立派な地蔵





貞治三年(1364)南北朝時代後期 立派な物です。
夫婦愛 こんな高いところまで運んできました。

薬王坂の鞍馬側に祠が

鞍馬で

2009年6月27日土曜日

ある兵士のアルバムが語る  - 台湾霧社事件の真実 - 近代史文庫大阪研究会 高市 光男

ミステリー
 ある兵士のアルバムが語る
 - 台湾霧社事件の真実 -
近代史文庫大阪研究会
高市 光男
この後、連絡があり、新しい事実が解かり、
次号に「ミステリーではない!」という話になりそうです。
御期待ください。

2009年6月26日金曜日

茨木市  わがまち茨木 道標編・街道編

他のサイトから学ぶ  2015/05/10 更新

茨木市のあるサイト 「茨木市小学生の社会科」 

     元茨木川の樋跡と橋跡(もといばらきかわ) から見つけました。
    
       樋跡と橋跡 多いですね!記念碑が立っているのがいい。

       今調べている 碑 それにしても、式内社4社を持つ茨木市は多いですね!


わがまち茨木    道標編
 買い求めました、
北摂では一番新しい物です。
平成19年3月発行  500円
発行 茨木市・茨木氏教育委員会
いいなと思ったのは  道標の統計が作られていました。
 行き先の集計?
 いつの時代の作か?   
 設立者の分析
など 道標からの時代背景資料になります。
「これもあります。」と出されたのが 「わがまち茨木 街道編」でした。

2009年6月24日水曜日

京への道 長崎

長崎街道

歴史の町 大村市のパンフから
長崎街道は鎖国時代の外交と江戸を結ぶ重要な幹線道路
現在国道34号線で鳥栖で国道3号線に合流 
その後は、山陽道(西国街道)で京へあと
東海道で江戸に向かう。

古い地図 垂水・江坂

吹田市立博物館 
  「吹田 いま・むかし


すごい物が展示されていました。


 垂水・江坂の昔の地図です。

江坂東西道標がわかります。が
このページを見た人が「著作権があるので削除してください。」
   地図を削除しました。済みませんでした。


2009年6月23日火曜日

石物 ???

熊野田で見つけて石物


神戸市の道標  左 すま寺  


       須磨区の道標32基はこちら
 この道標は個人の物でしょうか 記載がありません。 

神戸市須磨区で同じような物を見つけました。  2基  分銅でしょう。


私の道標はこちら

不思議な地蔵

この地蔵さんの頭がえぐれているのは?
  左の2基の地蔵の頭がえぐれています。 疑問が・・調査の最初の一歩

  この地域、粘土質で石が多くありません、石を別な利用としたのではないでしょうか!・・・・間違いと傘をかぶって大変古いものだと訂正されました。
  何かを支えるために地蔵の頭をえぐり支えにしたのではないでしょうか?
    別項で考察  「仏像の溝」
山田探索で案内の方が「何故?地蔵に溝が?」

地蔵の溝 壊れた唐臼の支持台の再利用であると考えるのが一般的である。
 

これが調査の一歩

9月17日 「この地蔵、頭がえぐれているよ!」 うちの奥さん 「野の仏」の「じろう」をみて、
「えー そんなこと 馬鹿な!」 と考えるのが普通
「たしかに頭がえぐれている!」 そんなものを地蔵にできるわけがない。
そうなると 「地蔵が先で溝は後で出来たもの」となる。

       考えを変えなければ、「そんなバカなことが」 「罰当たりだ!」
       時々 いいヒントを与えてくれます。


天道の道標 吹田市

吹田の道標2基 確認
その1 岸部神社鳥居前道標



鳥居の向こうに 地蔵! 妙見宮


その2 天道道標



吹田の道標はこちら

2009年6月22日月曜日

天道の道標

吹田 いま・むかし  吹田市立博物館
イベント  6月20日(土曜)
旧千里村Bコース(千里山東、佐井寺地区)での収穫
今日はこの方々によります。  面白いと思います。私も加入します。

天道の道標 今日は博物館に展示


 「左さゐ寺くわんおん(観音)道」
 「享保十八年(1733)」
 「是より十五丁」

2009年6月19日金曜日

京への道 6  片山町 吹田街道・亀岡街道の間道

 豊津から「吹田の渡し」経由と片山を通るルートで検索してみます。
 このルートは吹田街道と大阪高槻京都線との合流点「吹田渡」から
 高浜神社に行き天道に至るのでは遠回りになると考えています。
明治19年の地図には天道から片山村を通るルートがあるので豊津から近道として利用したのでないでしょうか。
 吹田の渡しから亀岡街道で天道に向かいいます。区画整理、JRによって現在はその道はとぎれ存在しませんし、また吹田の渡しから片山村への道も道標からも地図からもあったようです。    ちず丸距離計測で試みましたが、実測できませんでした。が現在の地図上からも近道があったと考えるのが一般的ではないでしょうか!
  片山の道標 でないか

    左 大阪  と読めるのではないでしょうか!
      これは 寺の住職に車よけといわれました。

     この道標は 70歳代の家の人に子供の時からあった といわれました。
 右 亀岡     左 佐井寺 だと思います。
 もう一つは 2個の地蔵さんがあります。 立派な祠です
  賀田山町2東交差点の近くです。  片山3丁目2
 
  下の祠は 浄念寺の北側の通りを西に20メートルにあります。
  
   中には 6期の地蔵がまつられていました。

  今回 山田から青葉丘北、下穂積、松ケ本町で大阪高槻京都線を渡り、JRをくぐり、下中条町で宇野辺から来た高槻街道と合流するルートと市場池経由とが存在します。
 道標で言うと山田地区では1基だけ存在しますので、山田三辻の道標でそこには行き先「京」又は「いばらぎ」は見あたりません。ので、判断に困りますが、私が山田から京に向かうだったら、近道の山田街道を使います。 または博物館で保管されている道標「樫切山道標」が物語るのでしょうか!「京」は出てきませんが、西面「すぐ 茨木、富田」とありますので、このルートを使ったのではないでしょうか! 
何せ資料がない。
 山田の昔話では、伊勢参りの迎えに大津まで出かけたそうです。その際のルートはわからないのでしょうか!

出口道標 上新田  地図

上新田の道標
上新田村から東西南北出口にある道標・地図

より大きな地図で 上新田の道標 を表示

見つけた道標(赤の目印
三国街道と熊野田道との分岐  
「旧上新田小学校の道標」=「上新田西口道標」 

「見つけた道標」
http://space.geocities.jp/fkyws889/framepage3.html

上新田の道標 東西南北
1.東口道標
2.西口道標
3.南口道標
4.北口道標
「道標は道の辻辻にあった。」

2009年6月17日水曜日

「山田の歴史」 Ⅱ

おでかけイベント  吹田市博物館
吹田探索 山田村のまち歩きとトーク「山田の歴史」2

昼食後 竹田純立氏による「山田村」講演

午後の探索  伊射奈岐神社

本殿 
 

紫雲寺 本堂天井




 山田の地蔵群
    「地蔵の溝」  これから始まる
   案内者が云われた「地蔵に何故溝があるのか!」
  簡単なことだ唐臼」が壊れ 再利用・リサイクルです。

   一般的だと思います。  資料を見ていると
 『地蔵の頭で溝がある!』  

  信仰の始まりは 「万物に霊が宿る」
だから、昭和の生まれの人は
 「地蔵・石物におしっこしたら ちんちんが腫れる!」と言われ
 地蔵に後から溝を掘ってよいのでしょうか!

探索 山田の歴史

吹田探索 山田村のまち歩きとトーク「山田の歴史」1
イベント 吹田博物館
 「吹田 いま・むかし」
行事 6月13日(土曜)(すいた環境学習協会まち組)
山田村のまち歩きとトーク「山田の歴史」
集合 10時 南千里駅解散 16時
山田伊射奈岐神社-小野原街道より阪急山田駅


竹田純立氏  牛ノ首池前で

牛ノ首池周りは拓本のメッカ  15碑ある。

公園北部にある地蔵 変わっています。

吹田慈姑

蛍のメッカ 高町池

一時本で有名になったウンコ

         山田の歴史 Ⅱ

2009年6月15日月曜日

和田岬灯台

須磨公園  国登録有形文化財

すごいですね 和田岬灯台 保存
  初期は木造