2011年4月20日水曜日

大阪市内の「勝尾寺」道標 訂正 「のせ」 2基


今回の十三から天六までの歩きは
すでに何回も見ている資料を再度、見てみると 「勝尾寺」  「のせ」の銘のある道標が

大阪市内に2基ありました。2基ともお寺  その確認の為に十三~天六まで歩きました。

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2012/01/19 修正追加  大阪市内の道標  
「勝尾寺への道標」 
2. 旧山口村の道標  探索宮原の道標と同じ
4. 新高公園の道標  調査結果

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冷雲寺(冷雲院)北区野崎町  6312-1541

 本寺は、戦時中で梅田あたり一帯が焼け野原になりましたが、冷雲寺と天神さんは焼けずに残った建物で、この建物も 江戸時代のもので釘を一本も使用していないとのことでした。

  正面 右 堂島淀やは一□心堂  左 天満天神 八けんや
  裏面 すぐ十三神崎伊丹中山 すぐ番所ば つくた 池田 のせ 道
  右面 南無阿弥陀仏  俗名
  左面 明治四□年   世話人



夕願寺(せきがんじ法華宗陣門流護国山)北区野崎町 6312-0828 

  本寺は元文五年(1740)妙本院日珖(総本山本成寺25世・京都別院本禅寺17世)創立、当時墓石の林立する荒寥とした埋田だった(現在の梅田)。 その墓石を整理するため多くのお寺が建てられたそうです。

  正面 右 本庄    服部天神 池田 能せ
     左 十三    神崎 中山 尼崎 西宮

  左面 右 天満    八軒家 京 伊勢
  右面    嘉永二(1849)酉(とり)3月建立  施主〈せしゅ〉


まだ残っていました。
歩くといろいろわかります。 追加で分かったこと2点

能勢への道は江戸時代の嘉永年間までは

能勢は、本庄の渡しを使いと書かれている。
現在の能勢街道の十三とは方向が違う。ということが夕願寺道標でわかる。

この道標で行くとこの後、
東中島道標宮原の道標江坂の常夜灯名号板碑道標につながるのではないですか。



冷雲寺の明治の道標では 能勢は十三と同じ方向を示している。
中国道の途中中津から「新橋」を使うルートが能勢街道になった。
街道も時代とともに変わります。 

これ道は 明治の地図で確認することができました。
昔からの道です。中国道にあたるとおもいます。

「昔の町名が残る。」
もう1点は、西寺町、東寺町があったということです。

大阪市 東寺町


地図にはありません。まだ新しい案内板で「東寺町々会員表」とありました。
「寺町通」は残っています。


与力町、同心 なども残っています。大阪城の名残でしょう。

冷雲院(西寺町)で聞いたことで、西寺町、東寺町は地図上ではありません。



それにしてもお寺が多い


大阪市の広報に名所旧跡がありましたのでそちらをご覧下さい。


緒方洪庵墓所です。

池上雪枝成化院跡
雨が降ってきましたので退散します。

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