2010年8月12日木曜日

勝尾寺への道標11 宮原 東中島 横関街道


以前に「今津っ子」さんから指摘のあった道標 2基調査
以前に捜索に出かけましたが、分かりませんでした。
今度は入念にと思い地図で探しましたが、そのような道はありません。
覚悟して出かけました。

立派な道標です。 
大きさ 23x22.5x100
(南年) 左 ミの かちを寺
中山          道
池田 伊丹     
(西面) 右 大坂道
(東面) 明治四十年  建

となっています。車の後ろに南向きに道路があったそうです。
右に取ると道路を横断すると大きな宅地になっていて、道がありません。 
これが一つがぽつんと立っていて、思いつきません。
近所のおばあちゃんが出ておられ、この道標のことを聞きました。話してくれました。
「道路工事の際、撤去の話がでたが、前の家の人が邪魔になる物でもないので残しておいてくれ」とたのまれたそうです。その家の人は、西側が自分の生まれた家で長女、何十年まえ、ここに屋敷を構えたらしい。

「ここの道はでこぼこ道で大きさは、いまの半分ほどあった。」
「そこの大通りも半分ほどの大きさで、当時は道路の両側和どぶ川になっていた。」
「ここいら全て田んぼであった。」
「おじいちゃんはもう死んでいない、墓は、東淀川駅の東側にある。」


西側  宮原1-16-16  垣内大三郎

さてもう一つは  新大阪駅の南側になります。
右は東海道線 大阪方面 後ろが新大阪駅
左側の斜めの道を進みます。

振り返ると 新大阪駅



大きな通りにでて二手に分かれます。
道標は 掃除をしている方のマンションの左側の祠にあります。

これも立派な物です。
大きさ 24.5x21.5x86
右 本ん庄
北 かち於じ
左 よこぜき


こ のビルの所有者が話をしてくれました。
今日はついている、相手が話しかけて頂きました。
「この道標は もっと西にあったものだ。」
(斜めの道からぶつかったところにあった。写真で真正面になければならない。)
「途中折れているのは 空襲によるもの」という話
それ以上は情報を得ず
観音様です。 東中島町1-8-10 


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2013/03/26

横関街道  淀川から神崎川まで 「ざ・淀川」         2013年3月4日月曜日                     
横関は横堰の新事実                       2012年3月24日土曜日
勝尾寺への道標11 宮原 東中島 横関街道          2010年8月12日木曜日
 
追加  2012/03/25 
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