今日は探索「播磨道」は
阪神間と播磨の三木を結ぶ重要街道で、海沿いの西国街道に
代わり、京都と姫路方面とを結ぶ近道としても利用されていました。
明治初期には廃止になった道の探索です。
http://imazukko.fau.jp/kaidou/harimamichi.jpg
ようすは後日 お伝えします。 チョット険しい道のようです。
播磨道 道中記
2010年2月24日水曜日
勝尾寺への道7 榎木の渡し
大阪の十八条町からの榎木の渡し
そのあと、横関街道で 蔵人を通り
吹田街道にぶつかり それを左 すぐに右に折れる
ここには、合計3つの道標がある。
⑰ 江坂東道標
T字路 右吹田、左服部
勝が藤になっている道標 「左ㇼ 藤尾寺」
⑯ 江坂西道標 2基 これを右に取る
1基は「勝尾寺」に銘はない。
対の角に 大きな石が、 文字の記載はないが車よけにしては非常に大きい。
この道を北上すると、常夜灯がある。
⑮ 江坂西西道標 この道標は西道標と同じ場所にあったのか不明
2010/06/24 追加 この道標 「下の立石」ではないでしょうか!
考察中
「右かつをし 3リ」
道は西道標で右に折れる。しばらく行くと
立派な常夜灯がある。
燈籠の下の台には「妙見宮」の表示があり、
建立は明治時代であるが このルートは妙見山に通じる道であったと考えられる。
その他、旧道と考えられる道標が大阪市内に2基ある。
宮原の横関街道道標 東中島の本庄街道道標 by 今津っ子
それをすぎ、高川にのぼり 新豊吹橋を渡り、渡ったところで三国街道に合流する。
後は高川ぞいに遡上し上新田を目指す。そして、「旧新田小学校」よこにでる。
そこに、 「旧新田小学校の道標」
④ 「上新田西口道標」があるが、その間は道標は発見されていない。
下新田今の吹田市春日町に道標が有ったとされているが、
「所在、表記が有ったなかった」など詳細はわかっていない。
現在 調査中
その他の道標は 吹田の資料と、本「野の仏」 によると
下新田(現在の吹田市春日町)に「下の立石」があったらしい。
現在は「上の立石」同様不明である。
大きな地図で見る
そのあと、横関街道で 蔵人を通り
吹田街道にぶつかり それを左 すぐに右に折れる
ここには、合計3つの道標がある。
⑰ 江坂東道標
T字路 右吹田、左服部
勝が藤になっている道標 「左ㇼ 藤尾寺」
⑯ 江坂西道標 2基 これを右に取る
1基は「勝尾寺」に銘はない。
対の角に 大きな石が、 文字の記載はないが車よけにしては非常に大きい。
この道を北上すると、常夜灯がある。
⑮ 江坂西西道標 この道標は西道標と同じ場所にあったのか不明
2010/06/24 追加 この道標 「下の立石」ではないでしょうか!
考察中
「右かつをし 3リ」
道は西道標で右に折れる。しばらく行くと
立派な常夜灯がある。
燈籠の下の台には「妙見宮」の表示があり、
建立は明治時代であるが このルートは妙見山に通じる道であったと考えられる。
その他、旧道と考えられる道標が大阪市内に2基ある。
宮原の横関街道道標 東中島の本庄街道道標 by 今津っ子
それをすぎ、高川にのぼり 新豊吹橋を渡り、渡ったところで三国街道に合流する。
後は高川ぞいに遡上し上新田を目指す。そして、「旧新田小学校」よこにでる。
そこに、 「旧新田小学校の道標」
④ 「上新田西口道標」があるが、その間は道標は発見されていない。
下新田今の吹田市春日町に道標が有ったとされているが、
「所在、表記が有ったなかった」など詳細はわかっていない。
現在 調査中
送信者 |
その他の道標は 吹田の資料と、本「野の仏」 によると
下新田(現在の吹田市春日町)に「下の立石」があったらしい。
現在は「上の立石」同様不明である。
大きな地図で見る
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追加 2012/03/25
あなたはどのルートを撮りますか
勝尾寺への道8 小曽根の渡し
大阪市十八条町から神崎川を小曽根に渡る、別名「目いぼの渡し」とも云われる。
ここで、神崎川に流れこむ川「高川」でこの川の西側堤防を遡る。三国街道です。
途中「天神様道」 これは大正五年
そのまま進と名神高速の手前の堤防に道標が
⑥ 高川の道標
「馬頭観音像 右かつをうし」
そのまま北上し
「新豊吹橋」の袂で江阪からきた横関街道と合流する。
そのまま、高川の西側を北上する、
緑地公園を通り、熊野田の分岐を右にとり、吹田千里山駅から来た道と下新田(現吹田市春日町)で出会う。
春日町も上新田と同様古い家並みが残る町である。
ここはは「下の立石」が存在していたが、現存せず、記銘など分かっていない。
高川は春日町の北で源流吹田市南千里の「牛首池」に向きを変える。
三国街道はそのまま、上新田に向かう。
この辻には、約三十年前道標があったような気がする。二十年ほど前に確認をしに行ったが見あたらなかった。
まっすぐ行くと北急行桃山台でその峠を越し、駅で東側にでて
上新田に降りる。 左が府指定「旧新田小学校」
旧新田小学校
この角に 大阪への道標 ④ 「上新田西口道標」が待っていてくれる。
上新田はこちら を参考にしてください。
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追加 2012/03/25
あなたはどのルートを撮りますか
2010年2月23日火曜日
勝尾寺への道6 桜塚道標より
大阪から三国の渡しで豊中に上陸後、ここまで勝尾寺の道標はない。
⑧ 福杖講1
左 池田(能勢街道) 右 みのお 勝尾寺やこえ
ここから、箕面に向けて進む 箕面街道にはこれを含め五基ある。
ならば、道標⑥は天竺川西側にあるのが妥当だ!
⑩ 柳谷道標
(南)みのお、勝尾寺やこへ道
⑪ 2本松立石
(南)役行者像 すぐ みのお山、かとを寺
⑫ 福杖講2 ・・・ 不明
右 みのを 勝尾寺
ここまでは箕面と同じ方向になる。
⑬ 春日町南道標
右 かとをうし
左 みのお
箕面街道を箕面と同様な方向で目指して北上してきたがここで、
みのおと別れる。みのおは左にとりは牧落で西国街道にであうそのまま直進し箕面へ。
ここでは、右手にとり「勝尾寺」を目指す。その後、
箕面高校の南側をとおり、西国街道に出会う。(道標はない。)
西国街道を東進し、新家で表参道で参拝する。
⑧ 福杖講1
左 池田(能勢街道) 右 みのお 勝尾寺やこえ
ここから、箕面に向けて進む 箕面街道にはこれを含め五基ある。
ならば、道標⑥は天竺川西側にあるのが妥当だ!
⑩ 柳谷道標
(南)みのお、勝尾寺やこへ道
⑪ 2本松立石
(南)役行者像 すぐ みのお山、かとを寺
⑫ 福杖講2 ・・・ 不明
送信者 2010(4) |
ここまでは箕面と同じ方向になる。
⑬ 春日町南道標
右 かとをうし
左 みのお
箕面街道を箕面と同様な方向で目指して北上してきたがここで、
みのおと別れる。みのおは左にとりは牧落で西国街道にであうそのまま直進し箕面へ。
ここでは、右手にとり「勝尾寺」を目指す。その後、
箕面高校の南側をとおり、西国街道に出会う。(道標はない。)
西国街道を東進し、新家で表参道で参拝する。
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追加 2012/03/25
あなたはどのルートを撮りますか
勝尾寺への道5 箕面街道の道標
箕面街道の表示には
箕面・勝尾寺と連記されている。 考察してみる。
このルートではア、イの2つの考え方がある。
ア。 箕面の滝から勝尾寺へ
⑧ 福杖講1 右 みのを 勝尾寺山やこへ道
⑨ 柳谷道標 右 みのを 勝尾寺山
⑩ 2本松立石 すぐ みの、かつを寺
やこえ道はあるが、表参道もやまこえ道である。
この表示は滝を登って行くのでしょうか!
箕面と同じ道を辿る。
調べていると 疑問が ⑨ 柳谷道標 の4面には 次のよう書かれている。
すぐ 柳谷 京 道 すぐ みの かつを寺 すぐ 服部 尼崎 道
すぐ 服部 大阪 でした。
すぐ 茨木 大阪道 この表示は確認が必要です。
茨木 大坂道が併記されている。???疑問です。
イ。 箕面の途中で西国街道に出て新家より表参道を利用する。
⑫ 春日町南道標 右 かつをうし、 左 みのお
箕面市牧落に箕面への道標があるが、そこには勝尾寺は出てこない。
ここまで同じ道をたどった、箕面・勝尾寺はこの道標で、箕面と別れる。
勝尾寺は右に取り、現在の豊中市立第十四中学校北側にでて、ロマンチック街道を横切り 箕面高校の南側を通り、西国街道に合流し、表参道入り口、新家より、参拝したものと考えられる。
よって、イ.の説に落ち着く。
大阪から三国の渡しで豊中に上陸後、ここまで勝尾寺の道標はない。
⑨ 福杖講1 長興寺南1-6
元の位置は長興寺南2-6-22
この道標と道標⑦ 名号板碑道標は
旧能勢街道と旧箕面街道の分岐にあったものです。
左 池田(能勢街道) 右 みのお 勝尾寺やこえ
ここから、箕面に向けて進む 箕面街道にはこれを含め五基ある。
ならば、道標⑥は天竺川西側にあるのが妥当だ!
⑩ 柳谷道標 中桜塚5-1
(南)みのお、勝尾寺やこへ道
⑪ 2本松立石 上野東1-1
(南)役行者像 すぐ みのお山、かとを寺
⑫ 福杖講2 桜の町5・・・ 不明
右 みのを 勝尾寺
ここまでは箕面と同じ方向になる。
⑬ 春日町南道標 春日町2-4
右 かとをうし
左 みのお
箕面街道を箕面と同様な方向で目指して北上してきたがここで、
みのおと別れる。みのおは左にとりは牧落で西国街道にであうそのまま直進し箕面へ。
ここでは、右手にとり「勝尾寺」を目指す。その後、
箕面高校の南側をとおり、西国街道に出会う。(道標はない。)
西国街道を東進し、新家で表参道で参拝する。
箕面・勝尾寺と連記されている。 考察してみる。
このルートではア、イの2つの考え方がある。
ア。 箕面の滝から勝尾寺へ
⑧ 福杖講1 右 みのを 勝尾寺山やこへ道
⑨ 柳谷道標 右 みのを 勝尾寺山
⑩ 2本松立石 すぐ みの、かつを寺
やこえ道はあるが、表参道もやまこえ道である。
この表示は滝を登って行くのでしょうか!
箕面と同じ道を辿る。
調べていると 疑問が ⑨ 柳谷道標 の4面には 次のよう書かれている。
すぐ 柳谷 京 道 すぐ みの かつを寺 すぐ 服部 尼崎 道
すぐ 服部 大阪 でした。
イ。 箕面の途中で西国街道に出て新家より表参道を利用する。
⑫ 春日町南道標 右 かつをうし、 左 みのお
箕面市牧落に箕面への道標があるが、そこには勝尾寺は出てこない。
ここまで同じ道をたどった、箕面・勝尾寺はこの道標で、箕面と別れる。
勝尾寺は右に取り、現在の豊中市立第十四中学校北側にでて、ロマンチック街道を横切り 箕面高校の南側を通り、西国街道に合流し、表参道入り口、新家より、参拝したものと考えられる。
よって、イ.の説に落ち着く。
大阪から三国の渡しで豊中に上陸後、ここまで勝尾寺の道標はない。
⑨ 福杖講1 長興寺南1-6
元の位置は長興寺南2-6-22
この道標と道標⑦ 名号板碑道標は
旧能勢街道と旧箕面街道の分岐にあったものです。
左 池田(能勢街道) 右 みのお 勝尾寺やこえ
ここから、箕面に向けて進む 箕面街道にはこれを含め五基ある。
ならば、道標⑥は天竺川西側にあるのが妥当だ!
⑩ 柳谷道標 中桜塚5-1
(南)みのお、勝尾寺やこへ道
⑪ 2本松立石 上野東1-1
(南)役行者像 すぐ みのお山、かとを寺
⑫ 福杖講2 桜の町5・・・ 不明
送信者 2010(4) |
ここまでは箕面と同じ方向になる。
右 かとをうし
左 みのお
箕面街道を箕面と同様な方向で目指して北上してきたがここで、
みのおと別れる。みのおは左にとりは牧落で西国街道にであうそのまま直進し箕面へ。
ここでは、右手にとり「勝尾寺」を目指す。その後、
箕面高校の南側をとおり、西国街道に出会う。(道標はない。)
西国街道を東進し、新家で表参道で参拝する。
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追加 2012/03/25
あなたはどのルートを撮りますか
2010年2月22日月曜日
勝尾寺への道4 吹田の渡・小野原街道
勝尾寺への南部ルート
1.新免から 二ノ切公園 上新田 樫ノ木池 今宮
2.江坂の渡しから
3。三国の渡しから → 箕面街道
4. 吹田の渡しから
5.小曽根の渡しから
ここではその他の東西のルートは省いている。
南部ルート1 吹田の渡しから
吹田の渡し
ここに上陸します。 亀岡街道を北上します。
南町道標 ⑱
六地蔵 ⑲
北の口に 石造地蔵菩薩立像 ⑳
「右勝尾寺ミち」
蓮光寺 地蔵道標
その後 天道でこの道標に出会うが 勝尾寺の表示は市場池までない。
現在所は佐井寺です。 市立博物館 第2展示場
岸部小路道標
市場池道標 21 小野原街道
表記 「小野原街道 山田、小野原、勝尾寺」とある。
これを左へ 小野原を目指す。
もう1基 案内図で確認してください。
上の緑の部分が市場公園 それの左下が上の道標
右下にもう一つの道標がある。
もう一つ北の辻にあった道標
山田市場道標
表記「かちを寺、やまだ」 これは資料から取り上げます。
そのまま亀岡街道を北上し、総持寺からの巡礼道としての道と、西国街道に出て新家に向かうルートも考えられるが、ここでは、南から(大坂から)の道を辿る。
さて、勝尾寺には
山田の中も色々なルートがある。山田の北「三辻の道標」をめざします。
いざなぎ神社から
竹中家の馬上門
「三辻の道標」 三角柱の珍しい道標です。
三辻の表記は
左 上新田村 をか町 いたみ
右 をの原村 みのを かちを寺 いけだ 妙見山 中山寺
万博西 中央環状線を
吹田北消防署 手前が「泥池」 今は吹田の介護施設
ここを右に曲がり、万博周辺道路に平行し、阪大工学部をめざす。
昔はここは、箕面市の小野原まで山田の地であった。
阪大工学部前
吹田市と箕面市の境界 小野原で今開発がされている。
ここから、むかしの左に「木馬館」があり、左に斜めに進と 上新田と山田の分岐の道標があった。
30年ほど前に、何回か探しに行ったのだが、見つけることが出来なかった。
そのときすでに、資料館に保管されていたとのこと。
現在は 公園に設置されている。
東向きに立っている
右しんでん 左やまで
向きが違います。 勝尾寺からの帰りとして立てられていますので、
道に反対側で、西向きに経っていたものと思われます。
ところが、この道標発見された時の向きもこの状態でした。
ここから 上新田へは 北千里を通り樫ノ木池で勝尾寺街道にであり、
上新田へつうじる
1.新免から 二ノ切公園 上新田 樫ノ木池 今宮
2.江坂の渡しから
3。三国の渡しから → 箕面街道
4. 吹田の渡しから
5.小曽根の渡しから
ここではその他の東西のルートは省いている。
南部ルート1 吹田の渡しから
吹田の渡し
ここに上陸します。 亀岡街道を北上します。
南町道標 ⑱
六地蔵 ⑲
北の口に 石造地蔵菩薩立像 ⑳
「右勝尾寺ミち」
蓮光寺 地蔵道標
その後 天道でこの道標に出会うが 勝尾寺の表示は市場池までない。
現在所は
岸部小路道標
市場池道標 21 小野原街道
表記 「小野原街道 山田、小野原、勝尾寺」とある。
これを左へ 小野原を目指す。
もう1基 案内図で確認してください。
上の緑の部分が市場公園 それの左下が上の道標
右下にもう一つの道標がある。
もう一つ北の辻にあった道標
山田市場道標
表記「かちを寺、やまだ」 これは資料から取り上げます。
そのまま亀岡街道を北上し、総持寺からの巡礼道としての道と、西国街道に出て新家に向かうルートも考えられるが、ここでは、南から(大坂から)の道を辿る。
さて、勝尾寺には
山田の中も色々なルートがある。山田の北「三辻の道標」をめざします。
いざなぎ神社から
竹中家の馬上門
「三辻の道標」 三角柱の珍しい道標です。
三辻の表記は
左 上新田村 をか町 いたみ
右 をの原村 みのを かちを寺 いけだ 妙見山 中山寺
万博西 中央環状線を
吹田北消防署 手前が「泥池」 今は吹田の介護施設
ここを右に曲がり、万博周辺道路に平行し、阪大工学部をめざす。
昔はここは、箕面市の小野原まで山田の地であった。
阪大工学部前
吹田市と箕面市の境界 小野原で今開発がされている。
ここから、むかしの左に「木馬館」があり、左に斜めに進と 上新田と山田の分岐の道標があった。
30年ほど前に、何回か探しに行ったのだが、見つけることが出来なかった。
そのときすでに、資料館に保管されていたとのこと。
現在は 公園に設置されている。
東向きに立っている
右しんでん 左やまで
向きが違います。 勝尾寺からの帰りとして立てられていますので、
道に反対側で、西向きに経っていたものと思われます。
ところが、この道標発見された時の向きもこの状態でした。
ここから 上新田へは 北千里を通り樫ノ木池で勝尾寺街道にであり、
上新田へつうじる
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追加 2012/03/25
あなたはどのルートを撮りますか
勝尾寺への道3 三国の渡し
神崎川の渡しには
洲到止渡し、三国の渡し、小曽根の渡し、吹田市に入り、榎木の渡、吹田の渡などがある。
洲到止渡しの近辺には道標は見当たらないが、地理的に三国街道を利用していた物と考えられる。
天竺川には大阪市三国から渡しで三国に渡る。能勢街道です。
大阪市の三国にある碑
碑文によると
正平十七年(1362年)にすでに存在していたと「太平記」に記されている。
三国に渡った後、天竺川の西側の堤防を歩く
道田小橋 三国街道が川を渡り、小曽根の渡しへ
そのまま北上する
この橋の手前に道標があるようであるが、確認は出来ていない。
ここにも道標は出てこない。
ここが分岐
ここは大きな分岐であるので 道標が必要だ。
「疑問の道標」http://space.geocities.jp/fkyws889/miti_.html がここにあったと考えられる。
天竺川長嶋神社横堤防 ⑦
昔、ここには、茶店があったらしい。
能勢街道を下りるとマンションの駐車場横に
祠が 中に地蔵が4基
その他
高市先生の「疑問の碑」から始まった「西南戦争招魂碑」はここにある。
天竺川の堤防は服部公園まで松並木が続き、街道の面影を残すが、
今までの資料では道路、街道としるされていない。
私は問題の道標がここに立っていたら、熊野田への近道として有望される。 また、長興寺村明細書には 煙硝関係の普請明細書に船着き場の修理が取り上げられているので、物資の輸送に天竺川を利用していたのではないでしょうか?
庄内東4丁目で堤防を降り服部へ
野田の堤防がある。 その道も存在した。
この後、服部をすぎ能勢街道と箕面街道との分岐まで関連した道標はない。
というよりか、「疑問の道標」が存在しないとしたら、
能勢街道には「勝尾寺」への案内はない。
洲到止渡し、三国の渡し、小曽根の渡し、吹田市に入り、榎木の渡、吹田の渡などがある。
洲到止渡しの近辺には道標は見当たらないが、地理的に三国街道を利用していた物と考えられる。
天竺川には大阪市三国から渡しで三国に渡る。能勢街道です。
大阪市の三国にある碑
碑文によると
正平十七年(1362年)にすでに存在していたと「太平記」に記されている。
三国に渡った後、天竺川の西側の堤防を歩く
道田小橋 三国街道が川を渡り、小曽根の渡しへ
そのまま北上する
この橋の手前に道標があるようであるが、確認は出来ていない。
ここにも道標は出てこない。
ここが分岐
ここは大きな分岐であるので 道標が必要だ。
「疑問の道標」http://space.geocities.jp/fkyws889/miti_.html がここにあったと考えられる。
天竺川長嶋神社横堤防 ⑦
昔、ここには、茶店があったらしい。
能勢街道を下りるとマンションの駐車場横に
祠が 中に地蔵が4基
その他
高市先生の「疑問の碑」から始まった「西南戦争招魂碑」はここにある。
天竺川の堤防は服部公園まで松並木が続き、街道の面影を残すが、
今までの資料では道路、街道としるされていない。
私は問題の道標がここに立っていたら、熊野田への近道として有望される。 また、長興寺村明細書には 煙硝関係の普請明細書に船着き場の修理が取り上げられているので、物資の輸送に天竺川を利用していたのではないでしょうか?
庄内東4丁目で堤防を降り服部へ
野田の堤防がある。 その道も存在した。
この後、服部をすぎ能勢街道と箕面街道との分岐まで関連した道標はない。
というよりか、「疑問の道標」が存在しないとしたら、
能勢街道には「勝尾寺」への案内はない。
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追加 2012/03/25
あなたはどのルートを撮りますか
勝尾寺への道2 二ノ切公園
熊野田を抜けて
右 桃山台の交差点 その手前に
この公園は元は大きな池で現在、公園、温水プール、少年野球場、一部池が残っている。
「温水プール」多くの人達が通っています。 温水プール
600円 安い 夏場は200円
バードハウス
バラ園です その前に 芝生があります。 ちょっと遊べます。
右 桃山台の交差点 その手前に
この公園は元は大きな池で現在、公園、温水プール、少年野球場、一部池が残っている。
「温水プール」多くの人達が通っています。 温水プール
600円 安い 夏場は200円
バードハウス
バラ園です その前に 芝生があります。 ちょっと遊べます。