2020年5月17日日曜日

「鳥牧」珍しい碑 初めてです。上新田

上新田の気になる石碑  by  popolo

気になって 早速 写真撮りに 
「鳥 牧」

「写真でみる 上新田」 五一会 2010年1月9日土曜日

には記載が無かったと思う。

駐車場の壁にありました。
平塚さんから「鳥牧」字名でなく「苗字」であることを
また、檜田さんから 苗字 辞書に載っている連絡を得ました。 

3名の電話番号から 封筒にこの石物について問い合わせ。
返事が無かったので、電話をしました。
 2件目で「わからない」「本家はあるのでしょうか」「家に来たら教えましょう」と言われるので 本家に案内してもらいました。
 鳥牧さんは不在でしたので「鳥牧ビラ」をポストに入れて帰りました。

 御主人がおられました。聞くと「先ほど携帯に電話した。」とのことでした。入れ違いになりました。
 「土地の堺」で立てたものということになります。
 「五一会」の話、豊中9中の話 余裕がありませんでした。短い時間でした。
 どうもありがとうございます。
  



「鳥牧家の由来」碑
 上新田創村の寛永六年に 島下郡鳥飼村願正寺の檀家の「喜平衛」が上新田に眞覚寺の前身である惣道場を開設したのが、鳥牧家の始まりである。
 明治二十一年に「鳥飼」から「鳥牧」と改姓し昭和年代に入り「丒松」「喜己雄」が、「中ケ谷・分銅谷」で米百俵、筍一日四百kg、野菜等を生産する篤農家として生計をたてていた。
 昭和三十九年は大阪府の千里ニュータウン事業により、四千坪の田畑山林が買収され、正業を賃貸マンション・駐車場事業等の不動産業へと転換し、昭和57年には、株式会社「喜平」を設立する棟、鳥牧にとって一大転機となり、これらっ事業に対し、「喜己雄」は大きな功績を残すとともに、豊中市固定資産評価審査委員会委員長上新田自治会長等地域の発展に大貢献した。
 長男「潔」は豊中市役所へ、孫の「浩平」は銀行勤務のサラリーマン生活を経て、平成十五年には有限会社「浩平」を起こし、家業を引き継いでいる。
 未来の「鳥牧」の屋号(喜平)の繁栄をねがって、                    建立

平成十七年五月吉日



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