その①
原田神社石鳥居 説明文 原田村野口家文書
港は「広芝」までの運送代
その②
「賑 ― 交わる街道と池田 ―」
平成20年10月17日~12月7日
原田神社石鳥居 説明文 原田村野口家文書
港は「広芝」までの運送代
その②
「賑 ― 交わる街道と池田 ―」
平成20年10月17日~12月7日
p11 図24 「池田から江戸までの輸送経路と運賃」記載
池田では 馬借組合の力が強く 船を使う方法が確立出来なかった。
積み出し港 「広芝」 「神崎」 「下川原」
江戸への積出港「安治川」「伝法・尼崎」
「広芝」ときたので投稿させていただきます。
返信削除*まず原田神社の「案内板」にある文書は貞享4年です。鳥居が建てられたのは翌5年です。
したがってこの文書は「見積」の文書です。
旧豊中市史史料編2巻(p600)には、三国浜から引いたという文書があります。
*ついで『賑 交わる街道と池田』の文書。
1685年の文書には「同廣芝」とありますが、1711年の文書には「小曽根濱」とあります。「豊嶋郡誌」やほかの文書から見て、この「廣芝」は小曽根村渡場の「廣芝舩場」=「小 曽根濱」を指すと考えるのが適切だと考えています。
*現吹田市の「広芝」はこのころすでに附き洲が出来、船着き場としての機能が失われていました。
以上が私の考えです。