2015年12月7日月曜日

吹田にこんな大きな 堰があったんです

明治 11年に、神崎川が攝津の一津屋 かえられ から、まっすぐ西へ流れるようにつけ 、淀川の水が勢 いよく神崎川 に流れるようになりました。しかし 、 神崎川と平行して流れる安威川は 、 水 井路 改良組合』が組織され、新田に大小の 田畑を旱魃から救うために『神安土地 位が低かったので、新しく開墾された (用水路、排水路 )が掘りめぐらさ れていました。昭和 15年に戦争の長期 化に伴って 、食料増産の必要性が増し、 大阪府が 、神崎川と安威川の合流点に 堰を設けて 、新田の主要水路である馬 やがて うるおすようにしました。 廻水路に水を流し込み、流域の作物を 、終戦を迎え食料事情がよくな ってくると、堰の重要性が薄れ、昭和 45年に撤去されました。今では 、吹田 人も少なくなりました。 にあんな大きな堰があったことを知る。

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