2015年5月2日土曜日

吹田の碑 木下直三郎 Ⅱ 調査 追加 5/13




この立派な碑は、吹田高浜神社裏に立っている。

この碑分 文章で収得  
国立国会図書館 大阪市市立図書館

藤澤 黄坡 

田中さんに解説をお願いしました。
古文書、漢文に長けた人で 一日で返事です。 まいりますね!
こんな人が、世の中に埋もれています。 吹田で聞いたのですが!
分かる人を見つけることはできませんでした。

ありがとうございました。

さて 解読文 をお願いしていました。 追加 赤字 5/13

 謹惟        
 ○○邦○、日々升りて、方に紀元二千六百年を迎う矣。此の年四月,吹田町は陛りて市と為る。衆、皆之を慶し、乃ち相いに謂いて曰く、故町長木下直三郎翁之佳績有り。蓋んぞ其の徳に報いざらん乎。乃ち貞石に不朽を託さんことを謀る。
 余、甞って其の傳を編むを以って、又来って記を請う。余曰く、翁は明治新政の際に在って、設を施なうに方有り。遂に今日の基を樹つ。何ぞ之を忘る可けん乎。と。
 翁は明治七年を以て副戸長と為る。始めて村治に参じ、後、戸長と為る。二十二年輙ち輿選されて村長と為る。任満つ。又選ぶ者、五村昇りて町と為るや又、町長と為る。四十二年に至って任を辞す矣。
 翁、首め村規四条を立つ。曰く、敬神崇祖。惇俗を以てする也。財を積み、債を償ひ以て用に利す。倹に勤め、産を治め、以て生を厚うす。学を興し、文を右び、以て材を養う。
 翁、和平篤実之性を以て、衆に先んじて事に従う。衆、楽しみて之に趨く。学に就くを励まし、税を納むるを奨むること数年、而して家に不学の童無く、邑に租を逋るるの戸無し。一郡○模楷と為せり。                     一郡模楷    
 翁、又力を農圃與植林に致す。益を興す所多し。而して治水の業に至っては即ち功、百世に施すもの也。蓋し、安威・神崎の二水は郡中潤を仰ぐ所なり。而れども又、水溢すること多く、戊辰・丙申の二歳の如きは丘に襄り、屋を没し、其の災ひたるや尤も惨たり。
翁、諸村の父老と與に、策を建て克く水路を改修す。灌漑・放水両つながら其の利を得る。又、淀川の改修を主唱し、植場平・秋岡義一等の諸子と屢東京に至り、貴衆両院議員を説く。又江に沿う府県当局を督励し、遂にその志を達する。居民、永く其の賜を受ける矣。
明治二十四年、大阪麦酒会社之操業するや、翁大いに之に賛じ、邑の北に地を相らびて其の設立を助く。今に一大工場と為す也
翁の行うや中正を守り、民を愛すること子の如く、心を自治に専らにす。以て民を利する可きものは知りて為さざること無し。是を以て公私、翁の徳を頌うる者指して樓に遑あらず。二十五年既に藍綬褒章を受け、四十年小学教育効績状を受く。又、大日本農会名誉賞状を受ける。清露之戦役罷むや、先ず則ち 御章の木杯を賜ひ、後、則ち、勳七等に叙せらる。斯の人、而して職に在る者三十七年、其の土の興るや勃然たり。遂に澱北之巨市たるも亦宜なるかな。
則ち碑を建て、徳を紀さんとする者、孰れも曰く、民の志に非ずんば啻に然らずんば非ざる耳。又以て後来の公事に従う者の範と為さんと欲すと 爾か言う。

            黄坡   藤沢 章   撰す 


解読者に報告します。

2014年5月15日木曜日 掲載

郷土の人物 木下直三郎  川端信次郎 吹田の碑  人気沸騰中

藤澤 東岳、南岳、黄坡、桓夫 墓地は 齢延寺(大阪市内 生魂神社の南隣)

身近な碑文
 藤澤南岳 山田の「弘済院」、 新聞報道 拓本 天下茶屋公園 
           勧善歌碑(高津神社)  帝塚山古墳


貴方の知っている! 吹田こんなところ!

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