2013年9月14日土曜日

古い写真 旧国鉄の遺構 ・・・・ 再調査 「吹田の丸また」 最古の物 追加 2015/1/12

またまた 「下久野暗渠」の写真 追加2015/1/12

むかしの写真があります。珍しい楔形(くさびがた)レンガ
吹田にはまだある レンガ塀

阪急千里線の一部は明治9年旧国鉄京都-大阪の一部のルートの払い下げ
よって、私鉄でその遺構が残っている数少ない場所です。
その他の「マンボ」・「マンポ」は、踊るマンボではありませんが、
詳しくは下記に「鉄ちゃん」グループのサイトでお確かめください。

今年は2013年  明治9年は1876年完成 その間137年現役です。もつものですね!
ビルの建て替えが頻繁に行われている日本ですが!
もっと物を・人を・歴史を大事にして欲しいですね。
レンガ造りの建造物もいいですね!  北摂で探してみましょうか! 

「井戸口橋梁」 

これは明治当初の物と考えられる よって 複線で線路は作られていたようだ。

こちらは新しいといわれている。

井戸口橋梁

神崎川

新神崎川橋梁





上流から





新しい橋

手前は水道管

円形ウエル基礎が明治の物2基、当初から複線だったのか!
先の「井戸口橋梁」の大阪側の橋梁から推測すると複線だった。

その他の物は操業開始の大正10年(1921)の煉瓦造り

年数を感じさせます。


北千里への電車   次は「吹田の丸また」 の西側

これこれ  西側の「丸また」「吹田の丸また」「鴨沢丸また」「鴨沢マンポ

少し引きました。

丸またから西の方向   白く見えるコンクリートが溝の跡
隙間から覗くと水が西方向へ流れています。

もっと引いてみました。
車の向こうに見える物置の向こうが「丸また」
線路の向こうに見える送電線の鉄柱
左側のセメント色が元の小川の跡
線路の向こうに鉄柱が見えます。    今日はこれまで
「吹田の丸また」 名称「鴨沢暗渠」でした。

現在も現役! 明治9年の国鉄の遺構4基 
阪急淡路駅高架のため消滅の予定

 
マンボ????    丸また???  解説その他のマンボ

*************************** レンガ建築物 
今日の新聞より  旧万世橋 「マーチエキュート神田万世橋」
旧万世橋駅 が面白い

千里線の下新庄駅にある「丸また」を見つけました。   名称は「下久野暗渠 」
「下久野暗渠」 終わりの方に写真があります。
もう一つの写真

旧国鉄の明治9年の遺構 4基 下新庄から 
   「四 鉄道用煉瓦構造物」に記載 ☆で表示 

① 下新庄駅ホームの下にある  「旧下久野暗渠」 
② 神崎川の手前にある「井戸口橋梁」 川・溝が有ったものでしょう。
  ☆ 吹田側は明治二五年以降の建設
  この川は、神崎川・運河の途中から出た川で下の神崎川に流れている。
③ 「新神崎川橋梁」 
④ 名前はなかった「吹田の丸また」・「鴨沢のマンボ」 = 「鴨沢暗渠」
     ☆ これは京阪間の鉄道構造物で最古のもの明治七年竣功「鴨沢暗渠」でした

以上4基  調べれば出てきます出てきます。
北大阪電気鉄道の敷設経過は『吹田市史』第三巻を参照 
  一部 千里線の誕生の歴史

資料
⑫ 北大阪電気鉄道による千里丘陵への鉄道敷設に際して東海道本線の旧線
の再利用を推し進めたのは、用地買収と設計の省力化や放置された構造物
の再利用等が会社と地域の利益に結びつくとの目論見が大きな理由とされ
る。なお東海道本線、北大阪電気鉄道の敷設経緯については『吹田市史』
第三巻に詳しく、本論では割愛した。
⑬ 本論で紹介した各構造物の基礎的データの記述は、後掲する小野田滋氏
の業績に負うところが大きい。
⑭ 煉瓦の統一規格が縦二一〇×横一〇〇×高さ六〇ミリメートルと定めら
れたのは大正一四(一九二五)年の日本標準規格である。それ以前は地域、
製造者等で規格はまちまちであったが、縦横高さの比が概ね四:二:一でで
きた基本的な形状のものを「オナマ」という。
⑮ 煉瓦の小口のみが表面に現れる段と長手(煉瓦の側面)のみが現れる段
を交互に積む煉瓦構築技法。同じ段において小口と長手が交互に表面に現
れる煉瓦構築技法もあり「フランス積み」という。
⑯ 『明細録』では竣功時の名称「上神崎川橋梁」と記載される。
⑰ 小野田滋「阪神間・京阪間鉄道における煉瓦・石積み構造物とその特徴」
『土木史研究』第二〇号
⑱ 「小口のみで構成される粗迫持の煉瓦の一部を竪方向に積んで、円周方
向のツナギをとった補強方法」(小野田 二〇〇三)

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