阪急淡路駅東にある「新庄小橋」
下は通路になっています。
大坂は水の都、また 八百八橋といわれ 東洋のベネチアか
生命の誕生は「水」と「酸素」と言われるが その時代は古代
現代の工業国となった日本では「水」は災害をもたらすものとなった。
だが 近世では農業の盛んな時代は重要視された水がある。
色んな伝承で「水」に関する事例もある。
さて、現在は生命維持の水はダム、河川工事、水道工事により川そのもの
池を含め 檻の中になっている。
この橋は 昔、水が流れていたが、現在はその形跡はない。
橋の建築は コンクリートであるのでそんなに古くない。
明治
18年の地図を見ると 「中島大水道」になります。
南東は淀川である。
右側の北上している道は 亀岡街道です。
南西方向に延びているのは 国鉄 現在の阪急京都線
その線路を挟んで 池が見える。
右側の池のそばに橋があった。
「和合橋」 欄干 昭和二年十二月架橋
「増島橋」 欄干 両方 こちら
それより 右は 淀川からの水の取り入れ口
「三千樋」 これが「中島大水道」これが源流
中島大水道碑がある東淀川区淡路四丁目 は 左側の池のあたりで
この中島水道はこの後 現在の東海道新幹線となる。
この中島大水道にも幾つもの話が残っている。「さいの木神社」。
黄色が亀岡街道
赤色が旧国鉄 現 阪急千里線
水色が 「中島大水道」
地図で川・中島水道と鉄道が交差している地点が阪急淡路駅にある「新庄小橋」にあたる。
追加 上の地図右側の続きの地図はこちら
「中島大水道」にはもう一つ関係している道標がある。
「十三新高公園の道標」です。 表示は
東面 「東 すぐ 三国 ■■ み乃勝尾寺 乃セ」
南面 「南 卍 ← かんざき 伊丹 中山 」
西面 「 西すぐ 十三十六丁 本庄二十丁」
北面には記載はない。
と表示されている。 この道標の面白いのは 東西南の方位の表示があること。
さらに 十三、本庄の距離が記されている。
上の地図の上部左端 能勢街道 が 中島大水道を渡る橋がある。
能勢街道の唯一東西にある道で分岐するところである。
「中島大水道」 新太郎松樋 2013年8月20日火曜日
新高公園の道標 2012年4月15日日曜日
一挙に 三千橋個! 2011年12月12日月曜日
東淀川区の探索 2―Ⅲ 2012年1月5日木曜日
新高公園の道標 2011年7月19日火曜日
続きの地図 はこちら
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グーグルマップの「新庄小橋」の場所にクチコミが書かれていたので、ネットを検索したらこのサイトを発見しました。とても勉強なりました。有難う御座いました。
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