2011年5月16日月曜日

長柄橋 六万体地蔵 旧毛馬基標 国分寺道標




大阪府

明治四十二年五月



長柄小橋


地蔵3体 古いものです。

聖徳太子が「六万体地蔵」の3体である。
大川、十三、土佐堀から移築したもの。

「旧毛馬基標」
明治から昭和にかけて、大阪湾の建設や淀川改修工事等の
高さの基準として使用されたもの
最初は 「天保山の旧砲台跡」
明治40年 毛馬へ  
昭和41年現在の茨木市にある国土地理院の基準水準点に移される。


毛馬町の与謝蕪村生誕地の淀川の堤防
与謝蕪村念碑
「春風や 堤長うして 家遠し」
蕪村の句碑-2 別のサイト


禁漁区

是しヨリ下方

大阪府

昭和十二年三月

国分寺

「ずいぐてら」 ???
 長町毘沙門鳥  

右面  文政十三年寅年九月 下部損傷

下方は埋められていた形跡がある。

その下にある2基も埋められた形跡あり、道標だと思う。

上半分が黒いのでこれも、大阪大空襲の痕か
その時は、「天満宮」と「冷雲寺」が焼け残ったといわれている。
梅田あたりはそれ以前にも大火があった。
天保五年(1834)7月十一日と明治四十二年の「北の大火」があった。

今日も収穫収穫

見つかった道標である。

変わっていますね。
大阪市内の道標も順次まとめます。 
欄干もまとめて行こうと思います

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