2010年4月26日月曜日

下新田の道標の行方は?  曇り空ですが  探索に出かけます。

午後は「町案内人」とよなか・歴史と文化の会に参加のため出かけます。
高川の源流 吹田市「牛ガ首池」
春日町の北の端 左上新田 右南千里
左は 山口さんのタバコ屋さん ここで、話を聞きました。 右は唯一の寺「西照寺」
「千里山からの道は」「道標はなかった」
話によると
「道はもう少し上、上新田方向らしい、
道標は上新田と南千里のところにあった。
下には信号の所にあった。」どうなったかわからない。
郷土史家を訪ねました。不在で奥さんに対応してもらいました。
「わからない! お爺ちゃんが村長をしていた。」それでは資料があるのでは!
「豊中には熊野田を通って行った。」山口のおじいちゃんが云われたことを確認できます。
「下新田村郷土史」資料があるはずだ、図書館に問いただしてください。」 これ以上はむりです。
お礼を述べ、連絡先を伝えて帰りました。 
「下新田の道標」=「下の立石」について話を聞くことは出来ませんでした。

2010/4/25 吹田市立図書館で調べました。 資料「下新田村郷土史」吹田市春日町青年部 この本では、生活の様子、尿について、千里山への道の改修などが書かれていましたが、私が知りたい道・街道については確認できませんでした。
調べていたら、他の道標のことを別な資料で確認できました。
現存しない道標・一度は現れるがその後姿を消す。 
加賀真砂子先生の拓本あります。
樫切山の道標  博物館にありました。
東面  すぐ 山田・小川村
 左山田下村
西面 すぐ 茨木 富田
施主 高槻河内屋平兵ア家内
現在の樫切山交差点より40メートル東になる

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