2009年4月2日木曜日

街道・道  勝尾寺街道

街道の名称は情報が発達していない時代では

その地域からの『行き先』で呼ばれていた。

 有名な能勢街道は吉野街道、池田街道などと呼ばれていた。 

又通行するものによって呼び名がある場合もある。

 銀山街道、馬車街道なと

 豊中市を通る勝尾寺街道を取り上げる。

江戸時代の「豊島郡誌」絵図  作 今西玄章によると
 大阪市内からルートは2つ
箕面街道から分岐し熊野田から上新田ははっきりと表記されていない。
この地図を最初に見たときは 天竺川をさかのぼる道があった。
 箕面街道の分岐が服部より南であったのでこれは天竺川と勘違いしました。
① 高川から上新田のルート
能勢街道の道標から も説明できるが
② 箕面の滝から勝尾寺に抜けるルートの2つがある。
  豊島郡誌   今西玄章

天竺川を上るルートは表記されていない。 
   新免からのルート、原田神社ルートもはっきりと表記されていない。
   唯一 三国街道があるが 上新田をかするように描かれている。
そのほかの街道が描かれ 勝尾寺ー中山寺の巡礼道
 織田信長が有馬に向かうのに使った 有馬街道、
 伊勢街道、伊丹街道がかかれていた。


 また、明治19年の地図によると
 熊野田を通る2つのルートが描かれている。
 一つは兎川の手前で原田神社から熊野田南に入る南ルート。
 もう一つは 新免から熊野田北に入る北ルート
  南ルートは三国の天竺川を北上してきた道と兎川と合流する点で熊野田の南側で合流する。
 この熊野田の南北の2つのルートは熊野田東で一つになり上新田に向かう。
勝尾寺には 豊中からは
 箕面の滝を通るルートと熊野田ー新田ルートは三国ー新田ルート合流し勝尾寺に向かうことになる。
  いろんなルートがあるが信仰心の厚い当時の人達は山門からの参拝を希望するのが多かったと思われるので、上新田から勝尾寺に向かったと思われる。だから 上新田から今宮、新家で勝尾寺表参道を目指した物と思われる。  
 マップ
         明治19年陸軍地図
 A点 天竺川と兎川の合流点 堤防に道が確認できる。
 B点 赤坂の道標
 C点 京・柳谷の道標
以上の点から  大阪市内から
  豊中を通る「勝尾寺街道」は3ルートあった。

ただ 大阪府誌によると
 勝尾寺街道は 豊中村新免  → 熊野田村  →  新田村  →  萱野村  →  豊川村  →  清渓村  →  止々呂美村  →  東能勢村川尻(余野街道) と記されている。
  疑問 上新田から今宮に抜けるのが一番近いと思われるが
      ここでは道を少し戻ることになるが
      上新田から萱野に抜ける道は 新田の道標「北口」を通るルートが記されている。
            
もっと新しい資料によると 道標編 昭和50年の地図
天竺川の街道 が書かれている。
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続きルート  追加
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勝尾寺へあなたはどのルートを取りますか


 

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