2009年7月23日木曜日
道標見本のまち・上新田の拓本
向こうに見えるのは 千里中央 「道標見本のまち・上新田」
上新田墓地で見つけた道標
左の道標は 寛文年間で有名 池田伏尾台の道標
右側の道標は うつぎ谷の道標も見つけました。
2009年9月4日 ~ 12月7日 箕面市立郷土資料館
「箕面から大坂への 道 標 展」
***********************************
上新田墓地で見つけた道標
左の道標は 寛文年間で有名 池田伏尾台の道標
右側の道標は うつぎ谷の道標も見つけました。
2009年9月4日 ~ 12月7日 箕面市立郷土資料館
「箕面から大坂への 道 標 展」
***********************************
2009年9月29日火曜日 『箕面から大坂への道しるべ展』 Ⅱ
見つけられた「道標17基」2010年2月19日金曜日 「見本のまち」 上新田の見どころ
上新田の郷土史家
上新田 西島修蔵
上新田字名(豊中市)
西嶋さんからヒントを得て
古い地図から上新田地域の「道」を作成作成しました。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
西嶋修三氏 講演会Ⅰ,Ⅱ
上新田今、むかし Ⅰ 2011/07/04
上新田今 むかし Ⅱ 2011/07/04
2009年7月18日土曜日
吹田郷土史研究会
7月例会 第264回 7月17日(金) メイシアター集会室
司会者 米津茂 さん いい声で進行
会長 佐々木 進 さん あいさつ
演題1 「千里丘付近に見られる地名の起源」
講師 吹田郷土史研究会副会長 竹田純立
講演2 山田の古墳と新芦屋古墳
講師 吹田市立博物館 藤原 学
会費 700円(会員は500円)
参加者 約50名 盛会でした。
司会者
会長
竹田純立氏
この地図が気に入りました。
私が知らない道標が1点、写真を撮っていない道標が1点 これは良かった。
新芦屋古墳は635年に木室を持つ古墳の話
あまり興味はありませんでしたが
発見当時のことを話されました。発見が早かったら国宝になっていたであろう。
2~3回このあたりを散策されているようでしたが、「ここ掘れ ワンワン」とはならなかったようです。
最後に市民会館に飾ってあった物「吹田の渡」
会場には気づいたのは2名の「吹田まち案内人」主催のハイキングで一緒になった方が居られました。
お礼を言ってかえりました。
司会者 米津茂 さん いい声で進行
会長 佐々木 進 さん あいさつ
演題1 「千里丘付近に見られる地名の起源」
講師 吹田郷土史研究会副会長 竹田純立
講演2 山田の古墳と新芦屋古墳
講師 吹田市立博物館 藤原 学
会費 700円(会員は500円)
参加者 約50名 盛会でした。
司会者
会長
竹田純立氏
この地図が気に入りました。
私が知らない道標が1点、写真を撮っていない道標が1点 これは良かった。
新芦屋古墳は635年に木室を持つ古墳の話
あまり興味はありませんでしたが
発見当時のことを話されました。発見が早かったら国宝になっていたであろう。
2~3回このあたりを散策されているようでしたが、「ここ掘れ ワンワン」とはならなかったようです。
最後に市民会館に飾ってあった物「吹田の渡」
会場には気づいたのは2名の「吹田まち案内人」主催のハイキングで一緒になった方が居られました。
お礼を言ってかえりました。
2009年7月17日金曜日
疑問の道標 Ⅱ
天竺川に街道があったか無かったか!
1.長興寺村絵図(長興寺村文書)
には道は書いてありません。
2.明治10年長興寺村全図(長興寺村文書)が次です。
3.豊中市市史(通史一) 享保18年の御用場諸事入用帳(長興寺村文書)に
見分ルートにある、「船着場」・「道路」の修理が記載されています。
火薬の運搬は高川が利用されていたようですが、高川は「寺内村」の
領分ですので、運搬には天竺川を利用したのではないでしょうか!
4.摂津国豊嶋郡小曽根郷絵図文化8年(1811)
庄本町の森本先生に聞きましたが私とは別の考えでした。
森本先生は、街道に詳しい方です。
2002年5月広報とよなかで
【特集】とよなか歴史の道散策 を書かれています。
2009年7月16日木曜日
2009年7月15日水曜日
2009年7月12日日曜日
2009年7月9日木曜日
地蔵さん ??????
左の2基の石物、後頭部が丸くえぐられています。
この石物は、座って、手を組んでいるようです。
ある話では、阿弥陀さまでこのところで傘を保持していた物で
古い阿弥陀様に見られます。
この後の調査で、笠をかぶっているのであれば
「突起」のほうが安定する。
傘をかぶせるのでなく、後ろが頭の前に出てくる。
次に現在のように直立になっています。
墓で言いますと
古い物は頭に四角の傘をかぶっていました。
現代のようになったのは、江戸時代だと言われています。
もう一度写真を見てください。
左から3番目は丸いくぼみが(溝)片方欠けた物です。
2011年1月 追加しました 最初は「石仏の溝」としましたが、
地蔵に見られるので「地蔵の溝」に変更します。
左から4番目は中央が平らで中央に突起が出ています。
追加 暗峠街道で見つけました。年代も古い
その他、ネットで探しましたが、出てきたのは阿弥陀様でなく、
地蔵さんで傘をかぶっています。 例 大変古い物です。
ですが、これは突起で傘を支持しているようです。
実際には、私も見たことはありません。
それと、阿弥陀さんがかぶっていた傘を探すのもおもしろいのではないでしょうか!