2012年9月19日水曜日

コメントあり 2017/07/19 道標B 探索 福知山 上天津 赤井さん 案内板のない道標


江坂素盞雄神社 油かけ地蔵:無縁物
当村願主 松原庄右衛門
文政十二年 
(僧像)右 みや津 七リ なりやいへ 九リ 

上天津:福知山市
        現在地:吹田市江坂町 油かけ地蔵道標

 
以前の地図 赤い道はこれは昔の「丹後鉄道の路線跡」とのことでした。

さて、江坂の「なりあい」と「宮津」を同じ方向で示しているので
三叉路に立っていた物か その道中に立っていた物となる。
計測すると上の地図の国道175号線と赤い道が交わる三叉路をこの江坂の道標があったと想定した。但し、ここまでは39kmもう10里になってしまう。
 宮津の対岸にある「成相寺」から9里約36km
下天津の国道175号線と176号線の合流点が約35km
この地点付近だと考える。ただし、ここに立っていたというのは疑問視される。
個々の表示は「右 宮津  左 なりあい」となるので合流点ではない。 
下記に記載している 道標A 間にあったのかと
この道標Aの「なりあい」の案内はないし、行けるが遠回りになる。
以上2点を考え、175号線から丹後鉄道下天津駅へ曲がる道2か所あるが
どちらにしても 北側に立っていて、その一つと考えられる。

舞鶴の郷土史家安田重晴さんから頂いた地図「福知山市の道標」
今回の調査 ②、④、⑤ 元外宮まで
西は牧から 北は元外宮、南は厄除神社まで 駅が近いので
ここで降ります。「いやいや もう一度家に来てもらい、渡したいものがある。」
それが赤井さんが調査研究された
「牧」六人衆」の足跡 「牧村」誕生の謎を解く  でした。

① 左 ふくち道   右 なりあい道          下天津  見つからず

② 右 ぬかた たじま  左 ふくち山 京 大坂 上天津(正確には勅使)弘化二年
地蔵道標  右 ぬかた たじま  左 ふくち山 京 大坂 台座に弘化二年
元の場所は 旧527号線と宮津街道の合流地点にあったのが移動されているとのことでした。
なりあい、宮津からの帰り道に立っていた模様。それは 是社神社当たり
 
「是社神社」
岡井・村上氏 「顕彰碑」 是社神社の土地を寄進  寛保三年
手前の道が宮津街道、信号の下にまっすぐ伸びているのが旧国道527号線で
由良川左の堤防沿いです。
ここにあった考えられる。

「高僧像 右 みや津へ 七り  なりあいへ 九り」

現在 吹田市素盞嗚神社境内あるこの道標はここにあったものと考える。

③ 丹後 なりあい  南無阿弥陀佛  但馬ゆしま道   荒河  見つからず

④ 右 なりあいみち  南無阿弥陀佛           石本
 

ご一緒頂いた 赤井信吾氏


⑤ 右 丹後なりあい 但馬 ゆしま  右京 大坂 道   鋳物師町 文化五年九月
これは福知山でも有名な道標  以前の宮津探索で撮っていました。
この道標 正面には 右 京 大坂道
向かって右面には 右 丹後なりあい 但馬 ゆしま でした。
裏面は 確認できませんでした。
⑥ 右 たじま      左 □ゆしま                見つからず
⑦ 右 丹後 みやづ道  左 但馬 いくの道        荒河    見つからず
⑧ 左 京 大坂 ふくち山 右たんご たりま       そが井橋跡 見つからず
⑨ 右 ふくち山 道   左みやづみち □左エ門     岩井橋   
⑩ 右 京 大坂道  左丹後なりあい但馬 ゆしま  元呉服ケ角、現 惇明小学校      文化二年
 以前の写真 2011年8月28日日曜日撮影

福知山市「京口道標」 
  左 京  大阪道
  右 丹後なりあい、但馬ゆしま 道   
現在 市立惇明小学校
⑪ 左 京 大坂道                        今回は除外
⑫ (仏)右 丹後なれあい道 左 さい志う道       森垣   今回は除外

 
①~⑫ 以外の道標A

下天津に行く途中  地蔵台座に 享保十九年七月
 
読み切れません。 右がうゆりミち  真ん中の字は、これはわかりません  左 がやミち
コメント 享保十九年の台座の文字ですが、右→加うもりミち→大江町河守(こうもり)
左→加やミち→与謝野町加悦ではないでしょうか。  
地の人に聞かないとわかりません。 
道標B
 
橋にかかりました。ここは上荒河 向こうに見えるのが由良川の堤防そのよこに公園が  
それに地蔵が
 
これはしめしめ と思い近づいてみましたが 世話人の名前のみ 残念
それで 周りを見ると これこれです。
 
 
上荒河公会堂 その横に いくつかの石仏がありました。
 
碑「相寿寺跡」 
これは字が読めません。 
道標C ?  上天津から牧に行く途中 
 
右 大師堂
大師堂は前の地蔵群
 
 
水準点 牧の手前

   荒井橋北側 これが⑨なのか
地蔵道標 右ふくちや山道 左みやづみち   
 記載事項からこれが⑨のようだ。  続いて 
その他の道標 
 
 「牧六人衆」の地名「牧」の道標
これは珍しい 見事な三角の道標です。それも「石」でした。
 右が宮津街道
 
 右 京 大坂
左 丹 ご     
もう一面には 左 たじま道
 
今の国道
 
荒巻にある 右には祠が 左には地蔵群 
 
 
祠の中の様子

 さて、今回の調査は、旧在所の確認ですが、地形的に確認したものです。
「当村願主 松原庄右衛門」の確認はできませんでした。
後は地元 福知山の人にまかせるしかないな という思いです。

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「牧六人衆」 福知山市郷土史家 赤井信吾著
福知山探索
江坂の「気になる道標」

2012年9月17日月曜日

「牧六人衆」 福知山市郷土史家 赤井信吾著

先日 福知山上天津探索でお世話になりました。ありがとうございます。
郷土史家、元中学校教師 赤井信吾さん 車で道標探索ご同行頂きありがとうございました。
感謝 感謝  
      郷土史 「牧村」誕生の謎を解く
福知山市の地名「まき」の由来について
古文書を探り今回の出版でした。
私にも「どうぞ」と頂きました。 ありがとうございます。
注文は¥1、500円  電話・ファックス 0773-33-2722 赤井信吾
福知山市内を臨む

もう一つのお土産  大江山名産
 
大江山名菓 
丹波勝栗もなか「笑鬼」
鬼饅頭本舗 新治製菓舗 0773-56-0040   福知山市大江町蓼原

別サイト  福知山のグルメ

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福知山 事前探索紀  2012年9月7日金曜日
福知山 探索紀 2012年9月19日水曜日

舞鶴からの手紙   2012年9月6日木曜日


2012年9月7日金曜日

吹田の道標 福知山に戻そう 上天津 追加 福知山探索

資料をもらって再度挑戦
今度の日曜日(16日) 福知山市上天津へ探索に行きます。
地元の自治会長・郷土史家 赤井さんが案内してくださるといわれ、気が楽です。 
下の写真3枚はGOOGLEで調べたらこのようなことがわかりました。
赤井さんの話を総合すると この神社(是社神社
神社 天神社ではない。ここ神社
 宮津街道と527号線​の交差点
墓でしょうか!(神社の土地を寄付した2名の碑) 上天津 527号線  神社の右手 
旧巡礼道の交差点 宮津街道との交差点 電柱の下に石仏か 
コンクリートでした。反対側のT字路に移築された地蔵道標があります。


赤井さんに依頼 今回の調査の要点
1. 旧在所の確認、 移転先の確認
2. 移転可能か、手続き
3. 下天津の道標、下天津のお寺の道標
4. その他の調査  調査範囲は地図を参照してください。
石本の道標、 三柱神社、旧街道(天津小学校の東側)、旧街道と宮津街道との交差点、
国道527号線と宮津街道との交差点、ここ神社と横にある2基の墓石、
この近辺のお寺、墓地、行けたら行きたい。

当日の行程 福知山滞在時間 約4:00  高速バスが廃止になりましたので変更
千里ニュータウン→(阪急高速バス)→福知山駅 →(北近畿タンゴ鉄道)→ 牧駅
 10:10発   →  11:54着

  南千里→(阪急電車)→宝塚→(JR)→福知山→(北近畿タンゴ鉄道)→ 牧駅
  8:40発   →   9:34着
             9:46発  → 11:33着  

             12:27発    →   12:36着
             16:31着    ←  16:22発 16:16発(下)
             17:01着       16:44発 16:41発(下)
19:57着  阪急  ← JR 17:06発

上天津の三叉路
上天津 国道175号線 宮津海道と 国道527との合流地点と
国道175号線の「牧」寄りの三叉路があり、こちらのほうが旧道であるようだ。
 江坂の道標もここにあったのであろう。
確認のためGOOGLE写真を見ると国道527号線との合流地点の
175号線の西側2基の墓?が立っている。

この地域には 「松原」姓がないことだ!
この近くのお寺を探し、お寺に問い合わせるか!墓地を探索する
自分で探しに行くことになる。
 
① お寺 福知山念法寺  ・・・・・ 修行寺のようです。
 アクセス電車:牧(京都府)駅 徒歩4分
住所京都府福知山市字牧89−1
 電話番号0773-33-2830  
その他の施設
②  石本に  三柱神社
③ 勅使に  天満宮
④ 堀     市立天津保育園の横の堀は??
⑤  墓地はどこにある。    

もう一度 福知山市に問い合わせてみよう。


2012年9月6日木曜日

舞鶴からの手紙 またまた資料が届きました。これはこれは 

福知山 舞鶴からの手紙 
大地図
きれいな字で丁寧なお手紙です。 舞鶴市郷土史家 安田重晴さん
大変お世話になりました。ありがとうございました。

昨日さっそくお礼の電話をしました。 
安田さんの考察
大阪府吹田市江坂素盞嗚神社境内 (油かけ地蔵横の石仏群の中にある。)の表記から
斜体は上村が追加

その1. 「なりあい」の表記は福知山市内特有の字体である。
  上の地図上で黄色いマーカーで記されている道標5基である。 ①、③、④、⑤、⑩ 
  これはすごいことですよ  地域が限定された。また、
  年代の表記は 文化二年、文化五年 の2基があり、吹田市のものとは同年代と考えられる。


その2. 表記から予想される旧在所は 福知山市上天津か 出会と予想された。

  距離は宮津から 7り、 なりあい 9り ということですので 距離的には「下天津」と考えられるがこの時代の一里の距離が少し長く、三叉路などの道標表記の要求を満たす場所的には 「上天津」と考えられる


その3. この街道は「巡礼道」と言われている。


追加 福知山市の道標 表記、場所、年代

① 左 ふくち道   右 なりあい道             下天津
② 右 ぬかた たじま  左 ふくち山 京 大坂      上天津  弘化二年
③ 丹後 なりあい  南無阿弥陀佛  但馬ゆしま道   荒河
④ 右 なりあいみち  南無阿弥陀佛               石本
⑤ 右 丹後なりあい 但馬 ゆしま  右京 大坂 道   鋳物師町 文化五年九月
⑥ 右 たじま      左 □ゆしま         
⑦ 右 丹後 みやづ道  左 但馬 いくの道           荒河
⑧ 左 京 大坂 ふくち山 右たんご たりま            そが井橋跡
⑨ 右 ふくち山 道   左みやづみち □左エ門         岩井橋
⑩ 右 京 大坂道  左丹後なりあい但馬 ゆしま     元呉服ケ角、現 惇明小学校 文化二年
⑪ 左 京 大坂道
⑫ (仏)右 丹後なれあい道 左 さい志う道            森垣
以上12基

年代記載は 3基
 ② 弘化二年  ⑤ 文化五年九月

 ⑩ 文化二年
  

2012年9月4日火曜日

ここに自然が スズメのお宿 カラスのお宿 ツバメのお宿 

ここに自然が
スズメのお宿



ツバメのお宿


つばめは南方へ いません。
通りかった人に聞きますと 「そういえば最近見ないな!」

代わりに この鳥? 休んでいました。

からすのお宿

すごい数です。 ここからお宿へ

2012年9月2日日曜日

大風水害記念碑 熊野田村   災害訓練

昭和9年の室戸台風 
教師、児童 六人の犠牲者


本年の大阪府災害訓練  平成24年9月5日(水曜日)午前11時 一斉実施

当日までの事前の確認事項】  
□ 建物の耐震性は?
□ 地域の震度想定・地盤の状況は?
□ 家具やロッカーの転倒防止措置は?
□ 備品や備蓄物資の確認は?
□ 身を守る確認は?
□ あわてて帰宅しない確認
□ 帰宅ルートの確認は? 
□ 最寄りの避難所の確認は?
□ 家族や社内の防災会議の開催は?
□ 災害用伝言ダイヤルの使用方法の確認は?

2012年9月1日土曜日