2009年10月7日水曜日

唐臼 ????  石仏の溝

米の精米道具

石仏の溝は この杵の支持台(説明書)が立てかけている物。
これは古い町並みでよく見かけるものです。
石仏の溝がきれいに出来ているのは、じろうをとめているからです。


門真市立歴史資料館

現在はこちらになります。  
各家庭にあり、米を精米していました。
米は左端の臼に中に、人が右端で踏み杵を上げ落とす
それを繰り返す。  今では東南アジアで見られます。
右の線の入った丸い物は、米などを粉にする物の下の台
この上に同じ大きさの物があり、穴からすこしずつ米を入れて上を廻す。
この道具は、私の小さいころまで使っていました。

2009年10月6日火曜日

石仏の溝(地蔵の溝に変更)   唐臼の軸石に利用

交野市の資料を再度点検
 リサイクルと思っていました 。
 リサイクルでも唐臼が先か、地蔵が先か が問題です。

唐臼は、地蔵・阿弥陀さんなどのリサイクルはないと考えていました。
なぜかと言うと、先祖を大事にしない、親を大事にしない、近所を大事にしない、友達を大事にしない、結局は自分を大事にしないなど、間違っている現代の世の中ですが、道標、地蔵などは、先祖を敬い、先祖の霊を弔う、先人の行なった業績を敬うことの象徴である物、自分たちの安全を守る地蔵などを粗末にするとは考えにくいと考えています。

 ところが、唐臼に利用していることがわかる物がありました。
溝が地蔵・阿弥陀さんの頭まできている物です。(例 吹田市佐井寺の「じろう」)  ????
 信仰する物を他の用途に使うことになります。   廃棄物を利用するにも、姿、形を変えるまでにして、利用するとか考えにくい。ですから、憶測するには、地蔵・阿弥陀が先でその後、リサイクルとして唐臼に使用されたと考えるのが妥当だと思います。そのことは、今までの私たちの観念を打ち破るものです。
 大変です! 時代の流れとはいえ、地蔵・阿弥陀さんに対する考え方が変わっています。
 明治初期の「神仏分離令」などのものによって、思想が変えられたとおもいますが、
 そのことは、現代と変わらない、無責任な時代と同じだと思います。
 「神仏分離令」は政治が行ったものです。 しかし、阿弥陀さん信仰が薄れ、百年という短い間で復活するとは考えにくいので、これら「石仏の溝」はもっと以前(明治時代以前)に行われたもとの考えるのが妥当だとかんがえる。時代を探ると、
 戦乱の世・安土桃山時代「安土城」建設には、石が足らず、「階段に墓石を使用した。」例があります。
また、仏教宗派で、仏像など有形の物を崇拝することを嫌う宗派がありました。また、改宗するには以前の神仏を焼き払う風習は続いています。時代からして「一向一揆」がそれにあたるのではないでしょうか!
 一向宗は一世を風靡し我が物顔で宗教改革を行い日本中を仏教の教えを広めました。そこで多くの檀家は浄土真宗に改宗された時期がそれにあたります。
 戦後、新しい宗教が発生し、その行動は、先祖などを祭る祭壇、仏壇などを廃棄することから始まった宗派もあります。

推測するにこのことから、江戸初期まで続いたのでしょう。 逆に言いますと、
この溝のある石仏は「江戸時代以前の物」と言えます。古いです。

 もう一つの疑問?台座として使用されたものが、その後、何故、祀られているのでしょうか!!!
まだまだですが、一応ここでは、
 私が考えるに、自分たちの過ちに気づき、元のように祭ったのではないでしょうか!

豊中の道標 修正追加

豊中の道標(昭和50年発行) 追加修正

28。南口道標 (東面) 右 大坂道  (北面)天明元年 文字が薄い

30。上の立石 (南)(馬頭観音) 右 かちおうし 

31.立石 報恩寺前


2009年10月5日月曜日

野の仏 古き庶民のこころ  大阪読売新聞社 追加2021/09/04

その他の記載 市町村の掲載
吹田市 
  (30)じ ろ う 佐井寺観音内
  (31)防火用水の地蔵 JR吹田駅 吹田郵便局西側道を北へ200m

豊中市
  (10)上の立石 旧在 千里中央 樫ノ木池 北東三叉路

箕面市
  (27)首なし地蔵 粟生新家

池田市
  (47)菩提寺の地蔵 池田市 伏尾

茨木市
  (1)捨て地蔵  茨木市大門寺

高槻市

豊能郡東能勢村
  (2)長安寺跡の阿弥陀 切畑字小松下所
  (7)カネ引き地蔵   切畑字中ノ西

  (46)黒御影の弥陀三尊 切畑字大円    
以上
 「野の仏」 


再度 掲載 2013/10/26
「野の仏」この本は 一般の図書館にはなく
大阪市立図書館から取り寄せました。

古き庶民のこころ  大阪読売新聞社 昭和39年
 大阪府50基の石物
上新田の道標「上の立石」。佐井寺の地蔵の溝「じろう」が載っている。


古い道標めぐり 川西市 中部道標

川西市の中部編  道標はいくつあるか?
私が私鉄のハイキングに出かけるようになって1年が経ちます。
今回は記念する会です。機会あるごとに参加しています。
この企画、きちんと説明書が着いていますので後々便利です。
そして、20年ぶりに旧友とも会うことが出来ました。
前回の道標めぐり 
動く広告塔 私のリック   
『箕面から大坂への道しるべ展』  

動く広告塔Ⅱ  今日の案内人
「川西周辺の古い道標、めぐり(中部編)」
能勢電 多田神社駅前 ここからスタートです。


多田神社手前の渡し 石垣に埋まった道標「左 万願寺」

多田神社 黒い道標があると聞いていたのですが 問い合わせたところ分かりませんでした。
川西氏の郷土史家 丸橋さんに問い合わせ 地図を送ってもらいました。

発掘調査中

この銀杏が紅葉すると見事です。  もみじもいいですが

前に川西市で詳しい方がおっしゃっていました、 昭和35年浸水

現在の川は これよりズート下です。

銀山と芋生への道標  元禄6年

集められた道標 3基

赤松地区の道標 移築 

墓標に刻まれた道標 右中山寺 前回探すのに苦労をしました。

昼食ポイント  ここで意外な人に逢いました。
退職され、いま、悠々自適に生活されています。かっての上司でした。
去年のハイキングでは旧友と逢いました。縁があるハイキングです。
若山の分岐

満願寺と若山との分岐

石垣に埋もれた道標 今日2基目

こんにゃく橋を渡ってゴール   こんにゃく橋???

ですが、橋を渡って右に折れ、駅まで行きました。
チェックがありません。 私と同じ人がもう一人、一緒にこんにゃく橋まで戻ります。
今日の参加者450名   
前回の道標めぐりから始まった 探索川西市 
前回のハイキング   川西市南部の道標
 

2009年10月4日日曜日

交野市の石造文化財

太子町の係りの方から教わった資料です。
 早速 交野市図書館にコピーを行なう為行きました。 交野市倉治図書館

図書館で本を見、コピーをお願いにカウンターへ
 係りの方が「交野市及び北河内地区に在住・勤務されたいる方でないと貸し出しできない。」貸し出しと勘違いをされ、貸し出しを断られました。
「いや、貸し出しでなく、コピーをこの2冊、全てお願いしたいのです。」「あーそうですか。では。こちらの用紙に申し込んでください。」 実は 
 「チョット伺いますが、この本販売していないのでしょうか?」「・・・・隣の文化財保護で扱っていますので聞いてきましょう。」一緒に行って貰い販売しているとのこと {ラッキー}
 歴史民族資料展示室で2冊を購入できました。
 地蔵 石造物の年代を調べるのにいい資料です。





郷土愛を育む 

ふるさと交野を歩く  1・2・3

ふるさと交野を歩く
  山の巻・寺の巻・里の巻

      各巻1000円

箕面市粟生 貞享五年の道標???

昨日・今日と忙しい日々でした。
昨日 箕面粟生の道標の確認でした。 
残念ながら貞享五年(1688)ではありません。
 文政八年でした。
他の地蔵と一緒に祀られたいます。
大峰さん33回記念碑が立っています。
この道は、総持寺からの巡礼道です。
 
裏川のそばです。
あーあ~

2009年10月3日土曜日

ある教育委員会からの返事  石仏の溝

調べている道標に関した疑問に思っていることを
太子町教育委員会生涯学習課に問い合わせました。
この地蔵です。
太子町の角屋前の道標の左横の地蔵には

 はっきりした溝がありました。この溝について問い合わせました。
なぜ、このような溝があるのか?
今日、封書をいただきました。  すごいですね! いろんな資料の中から調べていただき
次のような資料をいただきました。
有難うございました。   これで、又一歩前進です。
  
付箋のあるものが「溝のある石仏」交野市の石造文化財Ⅰ、交野市の石造文化財Ⅱに記載されています。
それによりますと  「再利用 唐臼の支柱へ」
年代は古い物で室町時代のものも存在します。  

私も9/17に、そうではないかと思っていました。それは、野の仏「じろう」を再度見ていると、頭までえぐれているのです。これは、石仏を彫った後に再利用した物だと。  これで確認できました。
有難うございます。

 この資料、地蔵のことがまとめてあり、時代認識もされています。
  明日は交野市に行き資料を見てきます。
また、やることが増えた!
 と思って、住所等を調べていたら、別なサイトで門真市歴史資料館にも面白い物がありましたのでこれは写真を撮ってきます。

2009年10月2日金曜日

箕面市 小野原の道標設置

小野原から「山田 ・ 上新田」の道標
 公園に設置されました。

 小野原から出てきて、最初の三叉路で 右は しんでん  左はやまだ
  新田は上新田のことで、吹田の北千里公園を横切り、青山台方向に抜け、勝尾寺街道に出会う、その後安場池の「上の立石」の横を通り、上新田へ
 
 道標は東を向いています。 方向的におかしいのですが、今回の設置違いではなく、このように立っていたようです。 方向としては 西向きが正解です。
 私は10年ほど前探したのでしたが、見つかりませんでした。 2年前 問い合わせると、「資料館で預かっている」「区画整理が終わった後公園に設置する予定」ということで、私は始めて見ます。
 道標も自分の物の場所もどり、一安心していることと思います。
 南の方向 上新田方向

 箕面市

 [箕面から大坂への道しるべ展]
期間:9月4日(金曜日)から12月7日(月曜日)
見つかった道標2基

今日の新聞から  
  一度破壊された物は元には戻らない。
 「ポニョの港」守られた。
  宮崎駿監督談話「開発の時代は終わった」

次の時代に残す物、借金ですか!